判例データベース
大学医師・諭旨退職処分事件(パワハラ)
- 事件の分類
- 解雇
- 事件名
- 大学医師・諭旨退職処分事件(パワハラ)
- 事件番号
- 東京地裁 - 平成19年(ワ)第2740号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 個人1名
学校法人A大学 - 業種
- サービス業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2010年08月24日
- 判決決定区分
- 棄却(控訴)
- 事件の概要
- 被告大学は、A大学病院等を運営する学校法人で本件研究所を設置しており、被告は同大学病院の副院長かつ泌尿器科の教授、原告(昭和38年生)は平成3年5月に医籍登録をした医師(心臓外科医)であり、平成13年3月当時、本件研究所循環小児科において心臓手術等の医療業務に従事していた。
平成13年3月2日、本件研究所において、C医師を術者とする医療チームは、被害者に対し、心房中隔欠損症及び肺動脈弁狭窄症の手術(本件手術)を実施し、原告は人工心肺装置の操作を担当した。ところが、本件手術中、脱血不良が生じたことから、被害者は重篤な脳障害が発生して、同月5日に死亡した(本件事故)。
被告大学は、同年6月21日、被害者の死亡原因に関する調査委員会(本件調査委員会)を設置し、被告を委員長に指名した。本件調査委員会は、同年10月3日、本件調査報告をまとめ、被害者の死亡原因は人工心肺中に生じた脱血不良による脳循環器不全による重度の脳障害であるとして、その主要な原因は術野からの吸引ポンプの回転数を上げたままで人工心肺が作動していたことによる脱血回路内の圧上昇と結論付けた。被告大学は同月7日、被害者の家族に同報告を交付し、その際第三者に渡さないよう念を押したが、遺族はそのコピーを報道機関に渡し、同年12月29日、本件事故が新聞報道された。
原告は、平成14年6月28日、本件事故に関し、.0.+業務上過失致死罪の被疑者として逮捕され、同年7月19日に起訴された。被告大学は、同年8月15日、原告が本件手術において、「人工心肺装置の操作を適切に行わず重度の脳障害を招き死亡に至らしめ、かつ脱血不良の事実を隠蔽するために、人工心肺記録等の一部改竄に協力し、更に業務上過失致死罪で逮捕・起訴された」という理由で、就業規則に基づき、原告を同日付で諭旨解雇処分としたところ、原告は同月20日、被告大学に対し退職願を提出した。
原告に対する1審判決(東京地裁平成17年11月30日)は、原告に具体的な危険性等の予見可能性が認められないとして無罪判決をし、2審(東京高裁平成21年3月27日)では、被害者の死亡は原告による人工心肺操作に起因するとは認められないとして検察側の控訴を棄却し、原告の無罪判決が確定した。
原告は、1審判決後で2審判決前の平成19年2月8日本件訴えを提起したが、本件調査報告は原告の社会的評価を低下させたこと、被告大学は記者会見して本件調査報告を説明したほか、社会保障審議会医療分科会に本件報告を提出するなど本件調査報告を公表したこと、被告らの名誉毀損行為が公共の利害に関する事実にかかることは認めるが、本件調査報告は、被告らが本件事故の責任を原告だけに押し付けて被告大学の責任や組織として受ける社会的非難を回避ないし軽減する目的で作成されたものであるから、専ら公益を目的としたとはいえないこと、原告に人工心肺記録等の一部を改竄した事実はないことなどから、本件諭旨解雇は違法であるとして、被告らに対し慰謝料500万円を含む総額約5500万円の損害賠償を請求した。 - 主文
- 1原告の請求をいずれも棄却する。
2訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1本件調査報告による名誉毀損に基づく損害賠償請求について
本件調査報告は、最も難易度の低い類型の手術において、原告の初歩的な過失に起因して被害者の死亡という重大な結果を招いたという事実を指摘するものであるから、原告の社会的評価を低下させることが明らかである。
厚生労働省社会保障審議会医療分科会での審議の概要は、逐語録の形でインターネットに公開されているが、そこに本件報告の写しそのものが公開されているわけではないから、同分科会に同報告を提出したことが、名誉毀損事実の公表に当たるとはいえない。しかし被告は、本件調査報告を被害者の遺族に交付した際、第三者に渡さないで欲しいと念を押しただけであり、これを厳禁したり不公表の念書を交わしたりした形跡がないから、直ちに伝播可能性を否定することはできない。また、2回の記者会見の状況等を全体的に観察すると、報道機関は、被害者の遺族を通じて、本件調査報告の内容をあらかじめ知っていたことが窺われるが、そうだとしても、被告大学は記者会見において、同報告を被害者の遺族に交付した事実を発表したり、同報告の写しを改めて配布したり一部報道機関にファックスを送信したりするなどして、本件調査報告の内容を知れ渡らせる行為をしたというべきであるから、これを公表したと認めることができる。
原告は、平成14年4月30日頃、「本件調査報告の実験結果は虚偽であり、内容が理論的にも間違っている」という書面を作成しようとしていたことが認められる。そうすると原告は、その当時、本件調査報告による名誉毀損に基づく損害賠償請求をすることができたというべきであるから、同損害賠償義務は、平成14年5月1日を起算日として3年経過後に時効により消滅したことになる。原告は被告らに対し、平成18年12月15日到達の書面で、同損害賠償の催告をしたが、これは消滅時効完成後の催告であり、効力を有しない。
本件の審理の過程で、本件調査報告の結論、特に原告が吸引ポンプの回転数を上げたままにしていた過失を指摘した点は真実といえないことが明らかになったが、このような事態が生じた原因については、1)本件調査委員会に心臓外科医が加わっておらず、被告を始め3人の委員はいずれも人工心肺の扱い等に詳しくなかったこと、2)脱血不良が人工心肺ないしその操作に由来するのであれば、その影響は上半身と下半身の両方に等しく出ると考えられるところ、被害者には上半身だけに影響が現れているが、本件調査委員会は被害者の上半身と下半身に対する影響の違いに着目した形跡がなく、下半身や肝臓の鬱血等の有無や程度の検討をしていないこと、3)本件調査委員会は、調査当時既に発表されていた論文を検討した形跡がないこと等、本件調査報告の誤りの程度は重大というべきである。
原告は、このような調査報告に対して、被告大学の都合や被告の出世のために、非科学的な調査報告を作成し、被害者を冒涜するものであるなどと激しく批判している。しかし、被告らが作成した本件調査報告は、被害者の死因に納得できない遺族に対し、その調査と説明をするためのものであり、その中で、死因に関し、C医師らが心不全と説明したものを否定して、人工心肺中に生じ脱血不良による脳循環不全による重度の脳障害という正しい判断をしている。また本件手術スタッフの誰にも過失がないと主張しているわけではないし、循環不全とそれにより生じるおそれのある重度の脳障害について被害者の家族に説明しなかったこと、術後にICU記録の瞳孔径を書き直すなど一部に脳障害の事実を隠蔽する意図が見えるなどと記述し、原告だけでなく、医療チームの対応を問題にしている。更に被告大学は、本件事故について、大学自身の社会的責任を認め、被害者に謝罪するという趣旨の記者会見を開いており、その一方で、本件を契機として特定機能病院を称することができなくなったり、大学当局の対応に批判的な報道がされたりするなど、一定の社会的制裁を受けている。このような事実によれば、被告らが、被告大学の都合や被告の出世のために調査報告を作成して被害者を冒涜したとか、原告に責任を押し付ける目的で、意図的に誤った結論を導いたなどということはできない。このことに加えて、平成15年12月18日以前に権利行使ができないというのはもとより相当でないことを考慮すると、被告らが消滅時効の抗弁を主張することは、信義則違反又は権利濫用として許されないとまではいうことができない。
2懲戒権濫用に基づく損害賠償請求について
被告大学は。懲戒処分の理由として、1)原告が人工心肺の操作を適切に行わず、被害者に重度の脳障害を招き死亡に至らしめたこと、2)脱血不良の事実を隠蔽するために人工心肺記録等の一部改竄に協力したこと、3)業務上過失致死罪で逮捕・起訴されたことの3点を挙げている。このうち本件事故について原告の過失は否定されるべきであり、逮捕・起訴されたといっても後に無罪判決が確定したのであるから、本件諭旨退職について、上記1)及び3)を理由とする部分は相当でないということができる。しかし、原告は医療記録の一部改竄に協力したものといわざるを得ず、医師が医療記録を事後的に改竄することは、どのような理由があっても正当化されるものではない。その上原告は、被害者が手術中に脳障害を発症した疑いがあったのに、被害者の遺族に対し、死因は心不全であったというごまかしの説明をする目的で、その改竄に協力したのであるから、上記2)の理由だけでかなりの重い処分を受けてもやむを得ない。また原告は、弁明の機会の行使として、弁護士を通して意見を付した回答をした上で退職願を提出したことによれば、退職意思を有していたことが認められる。更に、改竄を主導したC医師に対する処分が懲戒解雇であったこととのバランスを考慮すると、これを直ちに違法ということはできない。
医療記録が一部改竄されなかったとしても、本件調査報告の結論は変わらなかったと考えられること、原告が、C医師の改竄の働きかけに反対しており、また自らの手で書き換えをしたわけではないこと、本件調査報告が重要な証拠となって、原告は逮捕され、長期間にわたり刑事被告人の立場に置かれるとともに、大学病院でのキャリアを失うなど多大な不利益を被ったことなど、原告に有利に考慮されるべき事情もいくつか認められるが、これらは上記判断を覆さない。そうだとすると、この損害賠償請求は、そのほかの争点について判断するまでもなく理由がない。 - 適用法規・条文
- 民法709条、715条1項、723条、724条
- 収録文献(出典)
- 労働判例1017号53頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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