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N社合意退職事件(パワハラ)
- 事件の分類
- 解雇
- 事件名
- N社合意退職事件(パワハラ)
- 事件番号
- 水戸地裁竜ヶ崎支部 - 平成12年(ワ)第126号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 株式会社 - 業種
- 製造業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2001年03月16日
- 判決決定区分
- 棄却(控訴)
- 事件の概要
- 原告は昭和40年にF社に雇用されて勤務していたが、同社が被告に買収された後被告に直接雇用され、H乳業に出向した。その後原告は昭和60年に被告霞ヶ浦工場に配転となり、以後同工場において勤務していた。
原告は、平成5年10月に発生したT暴力事件に関わったとして平成8年3月に管理職から告訴されたが不起訴になった。その後平成12年5月17日、被告本社から播磨工場長に対し、T暴力事件に関与した者らの処分について検討中との連絡があり、同工場長は同日、原告に対し処分が検討されている旨伝え、処分は避けられないかも知れないとして、処分前に身を処すことをアドバイスするなどしたところ、原告は退職願を作成し署名押印した上で、工場長に提出した。
翌18日、原告は人事総務課長に電話し、早期退職優遇制度の適用の有無を尋ねたところ、明日回答するとの返事があり、原告が同日弁護士に事情を説明したところ、一刻も早く退職届を撤回するよう指示があったため、原告は直ちに本件退職届を撤回する旨の書面を被告に提出するとともに、前日の面談は退職強要であるとして、労働組合員13名らとともに被告に抗議した。
原告は、被告が原告の処分を長期間放置し、不起訴処分が確定した後になって6年前の事象を理由に懲戒処分を告知しているところ、これは労働契約上の信義則違反に当たること、工場長らの言動は、本人と家族の生活基盤の喪失という危険を告知することによって恐怖に陥らせるものであって、強迫に該当するとして取消しを主張した外、予備的主張として、本件退職の意思表示には法律行為の錯誤があって無効であるとして、労働契約上の地位にあることの確認を請求した。 - 主文
- 1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 労働契約の合意解約の成否
原告は、本件の合意解約申込みに停止条件が付されていた旨主張するが、本件退職願及び本件通知書には、退職に当たっての条件は何ら付されていない上、停止条件として主張する事項も退職の成否を左右するほどのものとはいえないから、主張は採用の限りではない。被告の各工場長には、当該工場勤務の労働者からの退職願を受理・承認して労働契約合意解約の申込みに対する承諾の意思表示をする権限があると認められる。よって、特段の事情のない限り、原告と被告との労働契約は、原告が平成12年5月17日に被告に対し本件退職願を提出して合意解約申込みの意思表示をし、同日、工場長が本件通知書を原告に交付してこれを承諾する意思表示をした時点で、合意解約により終了したことになる。
工場長らは、原告に対し、被告本社においてT暴力事件に関し原告の処分を検討中であり、近々決定がされる見込みであると告げた上で、原告が処分に不服であれば長い争いになるかも知れない、家族のことも考えて正式な処分が決まる前に自分自身で行動してはどうかなどと述べて、暗に自己都合退職を促したと認めるのが相当である。
原告の処分が遅れた理由につき、被告はT暴力事件の捜査の帰趨を見守っていたと主張し、Tは平成8年3月15日に水戸地方検察庁に原告外1名を被告訴人とする告訴状を提出し、受理されたが、担当検察官は平成11年2月28日、原告らにつき公訴を提起しない処分をし、関係者に通知したこと、被告は原告に対し、平成7年7月31日付け通告書により、T暴力事件に関する原告の無断職場離脱、暴言、暴行・傷害、業務妨害等の行為につき懲戒処分等を含む責任追及の権利を留保する旨通告したことが認められる。これらによれば、被告は、T暴力事件の関係者の処分につき、刑事事件の捜査の行方を見守っていたが、捜査が異常に長期化したため、その間原告に対して責任追及の権利を留保する旨通告し、その後不起訴処分がされ、関係者に告知された後に懲戒処分の検討を始めたと認められるから、被告が徒に原告の処分を長期間放置していたとはいえない。
原告は、T暴力事件は被告により捏造されたものであると主張しており、Tの後から右手でズボンのベルトを、左手で左襟首を一瞬、或いは20ないし30秒掴んだことは認めるものの、背後からTに飛び乗り、羽交い締めにして、首を強くねじ上げ、股間を何度も強く掴んだという被告主張の事実は強く否定している。したがって、原告の自認する限度で、原告がTのズボン及び襟首を掴んだ事実を認めることができるが、それ以上に暴行の事実があったのか、なかったのかは、いずれとも確定することができないとはいえ、合理的疑いを容れない程度の立証が要求される刑事事件において、公訴を提起しない処分がされたとはいっても、Tが原告を陥れるため殊更虚偽の事実を述べる理由や必要性が格別見当たらず、現実に負傷という結果が発生していることに鑑みると、少なからぬ疑いが残ることは否定できず、被告が原告の懲戒処分の可否を検討したことを一概に不当と非難することはできない。また原告が自認する行為自体、就業時間中に自己の所属部署を離れて管理職に対して正当な理由なく有形力を行使するというものであり、企業内秩序を乱す行為として懲戒処分の対象になり得ると解される。そうすると、事件発生から既に長期間が経過している時点での懲戒処分の検討は、労働契約関係上の信義則に照らして問題がないとはいえないが、それは前記の事情があり、かつ、被告が原告の懲戒処分を検討したことを不当とは非難できないところ、工場長らは原告に対し、被告本社において懲戒処分が検討されている旨を告げたにとどまり、懲戒解雇が決定した旨述べたわけではないから、それが自己都合退職を促す趣旨であったとしても、工場長らの発言を原告に対する違法な害悪の告知であるとまで評価するのは困難である。
2 工場長らによる強迫の有無
原告の当時の心理状態についてみると、工場長らとの面談の際、精神的威圧を受けたであろうことは窺われるが、同時に、原告は面談の当初こそやや声を荒げることがあったが、その後は落ち着いて話をし、自分から自己都合退職の場合の退職金の金額を尋ね、賞与、大入り袋、有給休暇、健康保険等の取扱に関して様々な質問や要望を述べ、退職の条件を確認し、上司に退職の挨拶をした後、退職届を自書した上で捺印して提出しており、翌18日に弁護士からの指示を受けて退職を撤回する旨の書面を被告に提出したというのであり、こうした一連の言動に加え、原告は労働組合の役員経験が長く、長年にわたり被告との労使交渉に加わってきていること等の事情を考慮すると、原告は工場長らから自己都合退職を促され、これに反発し、また逡巡するなどした後、最終的には退職の意思を固め、本件退職届を作成・提出したものと認めるほかない。
以上検討したところのT暴力事件を巡るこれまでの経緯、工場長らの発言内容、これに対する原告の応答状況等、諸般の事情を総合考慮すると、原告の労働契約合意解約申込みの意思表示が強迫によりされたとは認められないから、強迫取消の主張は理由がない。
3 原告の錯誤の有無
原告は、予備的に本件労働契約合意解約申込みの意思表示には法律行為の錯誤があり、無効であると主張する。けれども、原告が懲戒解雇処分の告知を受けた事実が認められないのは既に認定したとおりであるから、原告の主張は前提を欠く。むしろ原告は、被告本社においてT暴力事件に関し懲戒処分が検討されているという事実を前提に、自分なりの判断で退職の意思を固めたと認められ、自己の法的地位についての誤信はないというべきである。仮に原告の内心においてそのような誤信があったとしても、意思表示の動機の錯誤に過ぎず、かかる動機が相手方に表示されたことを認めるに足りる証拠はないから、いずれにせよ錯誤無効の主張は理由がない。 - 適用法規・条文
- 民法95条、96条1項
- 収録文献(出典)
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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水戸地裁竜ヶ崎支部 - 平成12年(ヨ)第27号 | 一部認容・一部却下 | 2000年08月07日 |
水戸地裁竜ヶ崎支部-平成12年(ワ)第126号 | 棄却(控訴) | 2001年03月16日 |
東京高裁 - 平成13年(ネ)第2115号 | 控訴棄却(上告) | 2001年09月12日 |