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O町農業協同組合職員自殺事件(パワハラ)

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
O町農業協同組合職員自殺事件(パワハラ)
事件番号
釧路地裁帯広支部 - 平成19年(ワ)第154号
当事者
原告 個人2名 A、B
被告 O町農業協同組合
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2009年02月02日
判決決定区分
一部認容・一部棄却(控訴後和解)
事件の概要
 T(昭和47年生)は、平成6年4月に被告に採用され、3ヶ月間の見習い期間を経て事務職の正社員となり、平成13年4月から販売部青果課に配属になった者である。

 青果課への配転当時、Tはそれまでより残業等が増えたものの、心身面に特に変調は見られず、平成14年2月に提出した自己申告書においても「大体満足している」、「当分現職を続けたい(5年位)」などと記載していた。平成16年6月2日、青果課の係長が入院し、同年6月30日、同課の職員2名が負傷したため、同年8月下旬頃まで、Tの業務負担が著しく増大した。係長は同年8月11日に職場復帰したが、従前ほどの勤務が困難であったため、Tは夜遅くまでの残業や休日出勤を重ねていった。

 Tは、同年6月以降、次第に頭痛や腰痛、肩凝りを訴えるようになり、同年秋頃からは朝食を余り取らなくなり、毎日寝付けないようになった。Tは、同年11月、体調不良のため早退するなどし、脳神経外科を受診したが特段の異状は認められなかったほか、平成17年3月の人間ドックでも特段の疾病は見つからなかった。

 Tは、平成17年2月17日、被告に自己申告書を提出したところ、異動の希望、増員を希望する旨記載されており、課長から異動の希望を尋ねられた際、結局、異動の希望は出さないと回答した。Tは、同年4月1日付けで係長に昇格し、それに伴う業務負担の増大もあって、同年4月には午前6時台の早朝出勤を頻繁に繰り返すようになった。

 同年5月12日午前、長芋出荷用のおがくずにホイールローダーのバックミラーが脱落し、ガラス片が混入するという事件(本件異物混入事件)が発生し、Tは同日午後6時頃その報告を受け、午後8時頃課長に報告したところ、報告が遅れたことを叱責された。翌13日、Tは早朝出勤し、課長らと共に、異物混入の疑いのある32ケースの検品作業を行ったが、ガラス片の全てを回収することはできなかった。翌14日、Tが仕事が一杯溜まっていると泣き言を言ったので、課長はTに対し抱え込んでいる仕事を列挙させたところ、そのほとんどがTの仕事ではないと判断されたことから、課長はTに対し、担当にちゃんと仕事を引き継ぐように、厳しい口調で断続的に3時間にわたって叱責した。そして、課長は退勤する際にもTに対し、「こんなこともできない部下はいらんからな」などと厳しい口調で叱責した。

 同月15日、Tは午前5時10分頃に出勤し、遺書を遺して、午前6時頃、ロープで自らの首を吊って自殺した。平成18年12月26日、帯広労働基準監督署長は、Tの自殺は業務上災害である旨の認定をした。
 Tの妻である原告A及びTの子である原告Bは、被告における過重な業務負担によりTを精神病に罹患させ、自殺に至らしめたから、被告には安全配慮義務違反があるとして、主位的に民法709条に基づく不法行為責任又は民法715条1項に基づく使用者責任を、予備的に雇用契約上の債務不履行責任を根拠として、被告に対し、逸失利益、慰謝料等を合わせて、各自につき7029万1242円の損害賠償を請求した。
主文
1 被告は、原告Aに対し、4644万1876円及びこれに対する平成17年5月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 被告は、原告Bに対し、5753万8747円及びこれに対する平成17年5月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

4 訴訟費用はこれを10分し、その3を原告らの、その余を被告の負担とする。
5 この判決は第1項及び第2項に限り仮に執行することができる。
判決要旨
1 業務起因性

 Tの自殺が被告における業務に起因するものであるか否かを検討するに当たっては、労働省労働基準局長の平成11年9月14日基発第544号「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」に従って認定するのが相当である。

 Tは、遅くとも平成17年3月末までには、自宅で寡黙になり、ため息をついたりする回数が増えていき、レジャーに出掛けることもなく、夜中に仕事のことを考えて眠れないこともしばしばあった。これらは、TにはICD−10診断ガイドラインが定めるうつ病エピソードの3大典型症状が見られたことを示すものである。また、Tは遅くとも平成17年3月末までには、ICD−10診断ガイドラインが定めるうつ病エピソードの一般的症状も見られた。以上の事実に加え、北海道労働局地方労災医員協議会精神障害専門部会座長作成の意見書の内容も合わせると、Tは遅くとも平成17年3月末までには、ICD−10診断ガイドラインが定めるうつ病エピソードに罹患していたと認めるのが相当である。

 平成16年6月、係長が入院・休職し、更に同年7月からは2人の職員が入院・休職することになって、Tの業務量が著しく増大したところ、その結果、Tは早朝出勤や残業、休日出勤を余儀なくされ、疲労を蓄積していったものと推認される。そしてTは、平成16年6月頃から次第に肩凝り等を訴えるようになり、同年9月頃からは睡眠障害などの兆候を見せていたのであり、Tのこれらの心身の変調は、業務による心理的負荷が強度のものになっていたことを窺わせるものである。これに対し、Tには業務以外に心理的負荷があったと認めるに足りる証拠はないし、Tにうつ病エピソードを発症するような個体側要因を認めるに足りる証拠もない。以上によれば、Tがうつ病エピソードに罹患したのは業務による心理的負荷が原因となったものであると認めるのが相当である。

 以上のとおり、Tは遅くとも平成17年3月末までにはうつ病エピソードに罹患していたところ、同年4月以降係長に昇格することによって更にその業務負担が増え、業務処理の停滞や課長及び部下との関係等に思い悩んでいたことが認められる。そうした状況下で、本件異物混入事件の発生、課長による長時間の叱責という事象が立て続けに起きたものであって、これが更にTに対して強い心理的負荷となったことは容易に推察できるところである。そして、Tに他に自殺を余儀なくさせるような事情が見当たらないことも合わせると、Tの自殺は被告における業務に起因するものと認められる。

2 安全配慮義務違反の有無

 使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の執行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身を損なうことのないよう注意し、もって労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っていると解するのが相当である。

 課長は上司として日々Tの動静を把握できる立場にあり、現にTの業務量の増大を認識していたものであって、Tは平成16年11月から度々体調不良や通院を理由として早退届等を提出しており、同僚もTの体調不良を認識していた。こうした事情に加えて、平成17年2月27日にTが提出した自己申告書には、他部署への異動希望や増員希望の記載があったことも合わせると、被告は、Tが業務負担の増大及びこれを原因とする疲労の蓄積や体調不良に悩んでいたことを認識し、あるいは認識することが可能であったというべきである。そうだとすれば、被告は遅くとも平成17年3月までには、Tの業務量を軽減する措置を講ずる義務があり、かつそのような措置を講ずることは可能であったというべきである。

 ところが、被告は、平成16年6月以降のTの業務量の増大に対し、同年8月から僅か1ヶ月間程度アルバイト2名を増員したほかは、Tの業務負担を軽減する措置を特段講じていない。それどころか、被告は平成17年4月1日付けでTを係長に昇格させているが、Tが青果課係長として相応しいかどうか十分に検討したかどうか疑問があり、しかも初めて管理職に就くTに対するフォローもしていない。その結果、Tの業務負担は更に増大し、未処理案件は山積みとなり、Tは単純な業務ですら手につかないような状態に陥ったものである。そうした状況下で、本件異物混入事件という、青果課係長としてのTの心に重い負担を与えたと思われる事件が発生し、更に追い打ちをかけるように、同事件の後処理作業をした翌日、課長による長時間の叱責があったのであって、これが決定的打撃となってTのうつ病エピソードを悪化させたものと推認するのが相当である。したがって、被告はTに対する安全配慮義務を怠ったというべきである。

 被告は、1)平成14年から希望する職員のカウンセリングを実施してきたこと、2)Tの自殺についての予見可能性はなかったことから、安全配慮義務違反はなかったなどと主張する。しかしながら、1)については、カウンセリングのみでTの過重労働が軽減されるわけではないし、平成15年10月以降はTの死亡に至るまでカウンセリングは1回も開催されなかったのであるから、これをもって被告が安全配慮義務を果たしたとは到底いえない。また、2)については、Tが脳神経外科の受診の結果、異状なしとの診断を受けたことは事実であるが、Tの仕事ぶりや言動を注意深く観察していれば、単純な仕事もこなすことができないような精神状態に陥っていたことなどを把握することは十分に可能であったというべきところ、むしろ身体面に特段の問題がないという受診結果を鵜呑みにし、精神的疾患の可能性を疑わなかった被告の落ち度は否定できない。

 Tは異動申告書において異動の希望を有していることを被告に表明しながら、結局異動の希望は出さない旨課長に告げているが、上司である課長、ひいては被告における評価を慮ってTが異動の希望を明確にすることができなかった可能性は十分にあるというべきであって、被告としては部下職員の微妙かつ複雑な心理についても思いを致すべきであったのである。そうだとすると、被告がTの精神面の変調について予見可能性がなかったということはできず、ひいてはTの自殺につき予見可能性がなかったということはできないから、被告には安全配慮義務違反がなかったということはできない。

 被告が前記安全配慮義務を尽くし、Tの心身の状態に適した配属先への異動を行うなどして、その業務負担を軽減し、労働時間を適正なものに抑えるなどの対応をとり、あるいはTの精神的不調を疑い、精神科への受診を勧奨するなどの措置をとっていれば、Tがうつ病エピソードに罹患することを防止し、あるいはTが自殺により死亡することを防止できた蓋然性は高かったというべきである。したがって、被告の安全配慮義務違反とTの自殺との間には因果関係があるというべきである。

 以上によれば、被告にはTの自殺につき安全配慮義務違反の過失が認められ、Tの自殺との因果関係も認められるから、被告は民法709条に基づく不法行為責任を負うというべきである。

3 損害額

 Tは、死亡時640万2938円の年収を得ており、妻である原告Aと子である原告Bの3人暮らしであったから、生活費控除率は30%とするのが相当である。そして、死亡時のTの年齢は33歳であるから、就労可能年齢67歳までの34年間(ライプニッツ係数16.1929)の逸失利益は7257万7494円となる。

 Tは、増大する業務負担に耐えながらも結局精神病に罹患し、妻と当時未だ1歳の娘を残し、33歳という若さで自ら命を絶つという非業の死を遂げたものである。被告は、Tが心身に変調を来していることを現に認識し、あるいは認識し得べきであったにもかかわらず、特段の措置を講じなかったどころか、ほとんど何の配慮もないまま係長へと昇格させるという無謀な人事を断行し、更には本件異物混入事件の2日後に上司が長時間にわたって叱責を行った結果、Tを首吊り自殺という惨い死に方へと追いやったものである。こうした事情に照らすと、Tの死亡慰謝料は3000万円をもって相当と認める。また、葬儀費用として150万円を認める。

 損益相殺として、遺族補償給付(年金)合計934万6871円を原告Aの逸失利益に関する相続分(362万88747円)から、葬祭料80万4840円を原告Aの葬儀費用に関する相続分(75万円)からそれぞれ控除する。
適用法規・条文
民法415条、709条、715条1項
収録文献(出典)
 労働判例990号196頁
その他特記事項