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江戸川署長(S化工機技師)自殺事件
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 江戸川署長(S化工機技師)自殺事件
- 事件番号
- 高松地裁 - 平成18年(行ウ)第1号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2009年02月09日
- 判決決定区分
- 認容(控訴)
- 事件の概要
- A(昭和39年生)は、大学卒業後の昭和62年4月、食品機械等の製造を業とするS化工機(本社徳島県)に入社し、設計技師として設計業務に従事しており、平成11年5月以前、肝機能障害、高脂血症、高尿酸血症、糖尿病等による治療を受けることがあったものの、格別の既往歴はなく、身体上の問題はなかった。
平成11年4月7日、AはS化工機の子会社のU農機(東京)に、設計リーダーの役割を期待されて出向するよう内示を受け、妻と共働きであること、育児や家事分担をしていること、老親がいることから出向は困難である旨訴えたが、結局これを受け入れ、同月16日付けで単身赴任でU農機に出向した。Aは上京して赴任の準備をして一旦徳島に戻った後、同年5月6日にU農機に着任した。
Aは、同月8日、U農機のF常務から、UFS-10(デザート関係機器の小型廉価版)の基本設計のやり直しをしてもらうつもりだが、取りあえずUFS-12の容器供給部の改造設計を先にするよう指示され、その作業に取り組んだ。Aは、翌9日、U農機のCADソフトがA化工機と違うとして、F常務に対しS化工機へ帰って作業したいと申し出、許可されたことから、同月11日徳島に帰り、同日から同月17日まで、S化工機で、同社機械設計課技師Hらの協力を得て、UFS-12の改造設計作業を行った。この間Aは、休日はなく、7日間で25時間の残業を行い、同月18日U農機に帰社してF常務に業務報告をしたが、その時の態度と内容は異常であった。
F常務はAが異常なまでに自信喪失していたことから、Aを徳島の自宅へ帰し、Aは自宅療養に入った。Aはうつ病と診断され、通院治療していたところ、同年7月5日S化工機への配転が発令され、同年8月26日からS化工機機械設計技師として職場復帰したが、その後再びうつ病の症状が悪化し、同年11月2日から自宅療養をしていたところ、同月25日、自宅で縊死しているのが発見された。
Aの妻である原告は、Aの死亡は業務上の理由によるとして、労働基準監督署長に対し、遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたが、同署長はいずれも不支給とする決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 江戸川労働基準監督署長が平成13年8月31日付けで、原告に対してなした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 江戸川労働基準監督署長は、原告に対し、亡Aについての労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を給付決定せよ。
3 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準
労災保険法による保険給付の対象となる業務上の疾病については、労働基準法施行規則35条により同規則の別表1の2に列挙されており、うつ病の発症が労災保険の対象となるためには、同別表第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することが必要である。そして、業務と傷病との間に業務起因性があるというためには、労災保険制度の趣旨に照らせば、単に当該労働者が当該業務に従事しなければ当該結果が発生しなかったという条件関係が認められるだけでは足りず、社会通念上、業務に内在又は随伴する危険の現実化としての死傷病等が発生したと法的に評価されること、すなわち相当因果関係の存在が必要と解するのが相当である。
精神疾患の発症や増悪には、様々な要因が複雑に影響し合っていると考えられているが、当該業務と精神疾患の発症や増悪との間に相当因果関係が肯定されるためには、単に業務が他の原因と共働して精神疾患を発症又は増悪させた原因であると認められるだけでは足りず、当該業務自体が、社会通念上、当該精神疾患を発症又は増悪させる一定程度以上の危険性を内在又は随伴していることが必要と解するのが相当である。そして、うつ病のメカニズムについては、いまだ十分に解明されてはいないが、現在の医学的知見によれば、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神破綻が生じるか否かが決まり、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、反対に個体側の脆弱性が大きければ、ストレスが小さくても破綻が生じるとする「ストレス−脆弱性」理論が合理的と認められる。したがって、業務とうつ病の発症、増悪との間の相当因果関係の存否を判断するに当たっては、うつ病に関する医学的知見を踏まえて、発症前の業務内容及び生活状況並びにこれらが労働者に与える心身的負荷の有無や程度、更には当該労働者の基礎疾患等の身体的要因や、うつ病に親和的な性格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に検討し、社会通念に照らして判断するのが相当である。
ところで、労災保険制度の趣旨に照らし、「社会通念上、当該疾患を発症若しくは増悪させる一定程度以上の危険性」の判断に当たっては、通常の勤務に就くことが期待されている平均的労働者を基準とすることが相当であるが、上記の通常の勤務に就くことが期待されている者とは、完全な健常者のみならず、一定の素因や脆弱性を抱えながらも勤務の軽減を要せず通常の勤務に就き得る者、いわば平均的労働者の最下級の者を含むと解するのが相当である。そして、Aには、これまでの生活史を通じて社会適応状況に特別の問題はなく、正常人の通常の範囲を逸脱しているものではなく、むしろ設計技師として中等度の能力を有し、性格面での脆弱を問題視されることもなく順当な昇進の経歴を歩んできた技術者であったのであるから、Aの性格傾向は、上記平均的労働者の範囲を外れるものでなかったと認められる。そうすると、本件においては、Aを含む平均人を基準として、当該業務がうつ病を発症させる危険性があったか否かを判断すべきこととなる。
2 業務起因性の検討
Aは、平成11年4月7日頃、S化工機からU農機へ出向の内示を受け、この内示に従えば単身赴任になり、家庭的には非常に困った状態になることや、出向期間が明示されず、前例からみて長期間にわたることも予想され、思い悩んだことが窺われるが、最終的に出向内示を受け入れる決断をして同年5月6日にU農機に赴任したこと、AはS化工機からU農機に移管された小型デザート機の設計リーダーとして、F常務から関係機種の基本設計のやり直しを命じられたこと、しかしAはU農機のCADに慣れていなかった上、Hらの協力を得て作業を行いたい旨申し出たこと、Aは同年5月11日から17日まで、Hらの協力の下設計作業を行い、改造設計を完了したこと、同月18日にU農機に帰任したとき、F常務に対する業務報告と態度が明らかに異常であり、Aは翌19日にうつ状態と診断され同月22日、抑うつ状態と診断されたことが認められ、この事実経過と、原告及びHはAの精神的異変に気付いた時期を考え併せれば、Aの確定的なうつ病の時期は、S化工機での出張による設計業務が終了した平成11年5月17日頃と認めるのが相当である。
このように、Aは平成11年5月17日頃うつ病を発症したため、同月21日から自宅療養に入り、同月27日から同年8月11日まで入院した後、同月26日から本件会社に職場復帰したが、その後再びうつ病の症状が悪化し、同年11月2日から再び自宅療養に入り、同月25日に自殺したものである。
しかるところ、自殺行為のように外形的に労働者の意思的行為とみられる行為によって事故が発生したことが認められる場合であっても、その行為が業務に起因して発症したうつ病の症状として発現したと認められる場合には、労働者の自由な意思に基づく行為とはいえないから、労災保険法12条の2の2第1項の「故意」には該当しないと解される。そして判断指針においては、業務による心理的負荷により精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常な認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として業務起因性を認めるものとされている。
Aは、平成11年5月8日、F常務から、急遽UFS-12の容器供給部の改造設計を先にして欲しい旨の指示を受け、納期を同月15日までと指定されたこと、AはU農機で使用していたCADソフトがS化工機で使用していたものでなかったことや、UES-12がAの担当したことのない機種であったことから、S化工機においてその改造作業を行うことになったこと、そして、援助を受けても納期に間に合わず、同月17日に作業を終了したこと、AはUFS機の設計作業と、慣れないCADソフトを修得するため、同年5月6日から18日までの13日間、1日も休まず出勤し、合計143時間の時間外労働を行ったことが認められる。
被告は、AがS化工機及びU農機の支援体制の下にUFS-12の設計業務を行うことができたと主張する。しかしながら、AがU農機で担当した業務は、1)UFS機は未経験であったこと、2)S化工機のCADソフトが―CADであるのに対し、U農機はオートCADと異なっていたこと、3)F常務はUFS機の設計工数を過少に見積もり、その結果納期を短期に設定したこと、4)U農機における支援体制が乏しいことから、多くの問題を抱える業務であった。
出向先における業務による心理的負荷は、本件出向によって当然起こる出来事と評価することはできず、上記心理的負荷と本件出向による心理的負荷とを総合的に評価すべきであり、その結果、Aに対する心理的負荷の強度は、(強)に当たると認めるのが相当である。これに対し、業務以外の心理的負荷及び個体側要因は格別認められない。そうすると、Aのうつ病の発症・増悪及び自殺は、業務に起因すると認めるのが相当である。 - 適用法規・条文
- 労災保険法12条の2の2第1項、16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例990号174頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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高松地裁-平成18年(行ウ)第1号 | 認容(控訴) | 2009年02月09日 |
高松高裁 - 平成21年(行コ)第4号 | 控訴棄却(確定) | 2009年12月25日 |