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札幌(銀行員)うつ病退職事件
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 札幌(銀行員)うつ病退職事件
- 事件番号
- 札幌地裁 - 平成17年(行ウ)第11号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2007年03月14日
- 判決決定区分
- 棄却(控訴)
- 事件の概要
- 原告(昭和34年生)は、昭和58年にA銀行に入行し、道内の幾つかの支店勤務をした後、平成2月に本店勤務となり、その後平成6年1月に名寄支店勤務となった。同支店の支店長代理は細かい指示を出すことが多く、原告に対しても些細なことまで注意したことから、原告は同代理と衝突することが多くなった。また原告は同支店長とも折合いが悪く、服装について注意されたこともあって、支店長と言い争うことも多かった。
平成10年3月23日、原告は野幌支店への異動を告げられ、引継ぎ書の作成、挨拶回り等を行ったところ、同月の時間外労働時間は、42時間35分となった。原告は同年4月1日付けで野幌支店に異動となり、融資係主任として、主に個人融資を担当したが、原告は融資業務から離れていたこともあり、同月の時間外労働時間は85時間35分となった。
原告は、同月6日の着任日から10日までの間、夜中に大量の寝汗をかき、この間体重が5kgも減少した。原告は同年5月6日に受診したところ、心因反応(うつ病)との病名のもと、「病状は極めて不良で、今後約2週間の自宅療養、通院治療を要す」との診断を受けた。原告は同診断を受けた翌日から同月20日まで欠勤し、翌21日に出勤した。原告は希望により、同月25日に得意先担当に配置換えとなり、同年7月6日まで勤務したが、翌7日に再び体調を崩し、「心因反応により約1ヶ月間の自宅療養を要す」との診断を受けて同月31日まで欠勤した。原告は、その後も回復傾向と悪化を繰り返し、「9月末までの療養を要す」との診断を受けたが、あえて同月22日に出勤したものの、その後も出勤と欠勤を繰り返した。原告は、同年10月26日から出勤し、同年11月9日まで勤務したところ、A銀行は原告の業務を軽減する目的で、10月26日から原告を窓口新規担当に係替えさせたが、原告は同年11月10日から30日まで欠勤した。この間、支店長代理は、同月14日、退職届等の書類を原告の自宅に持参し、原告はこれを受けて、同月17日に同月30日付けで退職する旨の退職願等をA銀行に提出した。
原告は、長時間労働やいじめ等により心理的負荷を受けてうつ病を発症し、その後原告のうつ病が明らかになったにもかかわらず、A銀行が療養を認めないなどの措置をとったことにより原告のうつ病を悪化させたものであるから、業務と原告のうつ病発症との間には相当因果関係が認められるとして、労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づき、休業補償給付の支給を請求した。これに対し同署長は、原告の主張する種々の出来事は、いずれも銀行業務における通常業務の範囲内のもので、他の行員に比して過重とはいえないなどとして、不支給とする処分(本件処分)をしたため、原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準
労災保険法に基づく休業補償給付の対象となる業務上の疾病については、労働基準法75条2項に基づいて定められた同法施行規則35条により同規則の別表第1の2に列挙されているが、精神障害であるうつ病の発症が労災保険給付の対象となるためには、同表9号の「その他業務に起因することが明らかな疾病」に該当することが必要であるところ、業務災害に関する休業補償の給付は、一定の事由が生じた場合に請求権を有する者の請求に基づいて補償が行われる制度であることに照らせば、これらの給付を受けようとする者が、請求にかかる各給付について自己に受給資格があることを証明する責任があるというべきであるから、業務起因性の立証責任は保険給付の請求者にあると解すべきである。そして、業務と精神障害との間に業務起因性があるというためには、労働者災害補償制度の趣旨が、労働に伴う災害が生じる危険性を有する業務に従事する労働者について、その業務に内在し又は通常随伴する危険が現実化して労働者に傷病等を負わせた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず被災労働者の損害を補償することにあるという危険責任の法理に基づくものであることからすれば、単に当該業務と疾病との間に条件関係が存在するのみならず、社会通念上、業務に内在又は随伴する危険の現実化として精神障害が発症したと法的に評価されること、すなわち相当因果関係の存在が必要と解される。
精神障害の発症や増悪は、現代の医学的知見では、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神破綻が生ずるか否かが決せられ、環境由来のストレスが強ければ個体側の脆弱性が小さくとも精神障害が起きる一方、個体側の脆弱性が大きければ環境由来のストレスが弱くとも精神障害が起きるとする「ストレス−脆弱性」理論が広く受け入れられていることからすれば、業務と精神障害の発症との間の相当因果関係の有無を判断するについては、ストレス(業務による心理的負荷及び業務外の心理的負荷)と個体側の反応性、脆弱性を総合考慮し、業務による心理的負荷が、社会通念上、精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合に、業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして、当該精神障害の業務起因性を肯定するのが相当である。そして、業務による心理的負荷が社会通念上、精神障害を発症させる程度に過重といえるか否かの判断に当たっては、通常人を基準として、精神障害の発症の原因とみられる業務の内容、勤務状況、業務の出来事等を総合的に検討すべきである。
ところで、個体側の要因については、客観的に把握することが困難である場合もあり、これまで特別な支障なく普通に社会生活を行い、良好な人間関係を形成してきて何らの脆弱性を示さなかった人が、心身の負荷がないか又は日常的にありふれた負荷を受けたにすぎないにもかかわらず、ある時精神障害に陥ることがあるのであって、その機序は精神医学的に解明されていないことが認められる。このように個体側の要因については、顕在化していないものもあって客観的に評価することが困難である場合がある以上、他の要因である業務による心理的負荷と業務以外の心理的負荷が、一般的には心身の変調を来すことなく適応することができる程度のものに留まるにもかかわらず、精神障害が発症した場合には、その原因は潜在的な個体側の要因が顕在化したことに帰するものとみるほかないと解される。
業務そのものが一般的に過重なものといえない以上、たとえ本人にとって過重であり、他にストレスとなる要因が見つからなかったとしても、業務起因性があると認めることはできない。また、精神障害の発症については業務起因性を認めることができない場合であっても、発症後の業務が、社会通念上、客観的に見て、労働者に過重な心理的負荷を与えるものであって、これによって、既に発症していた精神障害がその自然の経過を超えて増悪したと認められる場合には、業務起因性を認めることができると解するのが相当である。
2 本件へのあてはめ
原告がうつ病を発症したと推認できる平成10年4月から5月にかけての期間及びそれ以前並びにA銀行を退職する同年11月頃までの間における、原告に対する業務上の心理的負荷について検討するに、原告は、1)名寄支店勤務当時2人の上司と衝突することが多かったこと、2)野幌支店への異動を命じられ、短期間で引継業務を行う必要が生じ、3)異動後は慣れない業務に従事しながら、4)1ヶ月間で約85時間に及ぶ時間外労働をし、5)そのうち着任当日から実施された本部検査に際しては当初の3日間、深夜に及ぶ時間外労働をしているのであって、これら一連の経過に照らすと、これらの業務による心理的負荷はそれなりのものがあったと推測される。
しかしながら、1)上司との衝突の内容は、業務に関する細かい指摘が多かったというに留まり、いじめがあったとはいえないこと、2)原告は、それまでにも転勤を数回経験しており、野幌支店への転勤も通常の異動で、通常の引継業務以上のものとは認められないこと、3)異動後の融資係の業務自体は慣れないものでも、原告はオンライン作業についても基本的なことは理解できたはずであり、実務の中でオンラインシステムの操作方法を習得することがさほど困難であったとは認められないこと、4)原告の前任者はなお野幌支店に在籍していること、5)野幌支店の業務は融資係としての通常の業務であって、同支店の業務は当時それほど忙しいものではなかったこと、6)原告は査定書を作った経験があり、融資の事務の流れ、作業手順については理解していたと窺われること、7)平成10年4月の時間外労働時間は80時間を超えており、名寄支店当時と比較すると残業が多くなっているものの、野幌支店の業務の繁忙度はA銀行支店の中で中位であって、80時間を超える時間外労働を行った期間は1ヶ月に止まること、8)本部検査の期間中の深夜に及ぶ時間外労働は3日間に留まるなどなどの事情を総合考慮すれば、同種の労働者において、その業務における心理的負荷が、社会通念上、精神障害を発症させる程度に過重であると認めるのは困難と言わざるを得ない。
他方で、原告に業務以外の心理的負荷があったことを窺うことはできず、当時既に顕在化していた個体側要因として顕著なものも見当たらないところではあるが、業務が社会通念上、精神障害を発症させる程度に過重であるとはいえない以上、原告のうつ病発症が業務に起因すると認めることはできないというべきである。
以上を総合すると、平成10年3月、4月の名寄支店及び野幌支店における原告の業務は、いずれも原告に対して強度の心理的負荷を与えるものということはできず、うつ病発症後のA銀行の対応を含め、本件において、業務による心理的負荷が、社会通念上客観的にみて精神障害(うつ病)を発症させる程度に過重であったということはできないから、原告の業務起因性があるとの主張は理由がない。 - 適用法規・条文
- 労働基準法75条、労災保険法14条
- 収録文献(出典)
- 判例タイムズ1251号203頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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