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警視庁警部補脳内出血事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 警視庁警部補脳内出血事件
- 事件番号
- 東京地裁 - 平成19年(行ウ)第421号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 地方公務員災害補償基金 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2009年10月01日
- 判決決定区分
- 認容
- 事件の概要
- 原告(昭和23年生)は、昭和45年1月に警視庁巡査として採用されて以後、警察官として公務に従事し、平成11年4月からは警視庁第一自動車警邏隊第2中隊小隊長として勤務していた。
本件発症前6ヶ月間の原告の就労状況を見ると、自動車専科教養研修のあった平成14年1月10日から31日及び本件発症以前1週間である平成14年2月11日から17日を除いて、当番、非番の翌日は原則として休日が設けられていた。また時間外勤務時間数は、発症前1ヶ月目は66時間30分、2ヶ月目は4時間、3ヶ月目は20時間30分、4ヶ月目は15時間30分、5ヶ月目は8時間30分、6ヶ月目は2時間であった。この期間中、原告は日常業務のほか、拳銃及び薬物所持の被疑者検挙のほか、凶器携帯の軽犯罪法違反、覚醒剤取締法違反、軽犯罪法違反の各被疑者を検挙した。
原告は、平成14年1月10日から31日まで、警察緊急自動車運転技能中堅指導者専科教養の研修を受けたが、同研修は、原則45歳以上の指導者に対し、運転に関する高度の知識、技能及び指導方法を習得させることを目的として、警察大学校における講義及び中央研修所における実技指導が実施された。原告は、同年2月3日午前2時20分頃、巡査長ととともに警邏中、挙動不審の外国人に対して職務質問及び所持品検査をしたところ、同人が覚醒剤、大麻及びコカインを所持していたことから同人を現行犯逮捕し、更に同人の自供に基づき自動拳銃2丁を発見したことから、併せて同人を銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で現行犯逮捕した。
同月13日から19日まではブッシュ大統領夫妻来日警護のため、警視庁全庁を挙げて二部交替制勤務が実施され、原告の所属する第2中隊は、皇居、国会議事堂、官庁街、関連国大使館等を担当した。原告は、同月11日から二部交替制勤務に就くよう指示され、同日8時30分から翌12日15時45分まで拘束31時間15分、勤務時間29時間の勤務を行い、同月13日から翌14日まで、同月15日から16日もほぼ同様な勤務を行った。原告は、同月17日午前7時25分に出勤し、同僚とともに、警邏用無線自動車で警視庁第一方面本部に到着し、指示を受けた後実地調査を行って帰庁して昼食を摂っていたところ、午前11時40分頃、左手が動かず、呂律が回らず、椅子から立ち上がれなくなって、病院に搬送されて診察を受けた結果、脳内出血(本件疾病)と診断されて、開頭血腫除去手術、頭蓋形成術を受けた。
原告は、同日から同年4月9日まで入院し、その後平成15年1月24日までリハビリ目的で入院し、それ以後通院しているが、本件疾病のため、左上下肢麻痺、高次脳機能障害の後遺症が残り、平成16年5月14日警視庁を退職した。
原告は、被告に対し、平成15年4月18日付けで本件疾病につき公務災害認定請求をしたが、被告は平成16年10月19日付けで本件疾病の発症を公務外災害と認定する処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求をしたが、3ヶ月を経過しても裁決がないことから再審査請求をしたところ、棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が原告に対し平成16年10月19日付けでした地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 地公災法に基づく補償の支給は、地方公務員等の職員の災害について行われるが、公務上疾病にかかった場合とは、職員が公務に起因して疾病にかかった場合をいい、公務と疾病との間に相当因果関係があることが必要であると解される。また、地公災法による災害補償制度は、公務に内在する各種の危険が現実化して職員が疾病にかかった場合に、使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失の補填の責任を負わせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであるから、上記にいう公務と疾病との間の相当因果関係の有無は、その疾病が公務に内在する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。そして、脳・心臓疾患発症の基礎となり得る素因又は疾病(素因等)を有していた労働者が、脳・心臓疾患を発症する場合、様々な要因が上記素因等に作用してこれを悪化させ、発症に至るという経過を辿るといえるから、その素因等の程度及び他の危険因子との関係を踏まえ、医学的知見に照らし、職員が公務に従事することによって、その職員の有する素因等を自然の経過を超えて増悪させたと認められる場合には、その増悪は当該公務に内在する危険が現実化したものとして公務との間の相当因果関係を肯定するのが相当である。
本件疾病発症以前6ヶ月間の就労状況は、三部交替制勤務として、当番、非番の翌日は原則として休日が設けられ、時間外勤務時間数もそれほど多くないことから量的に過重な業務ということはできない。また、平成14年1月10日から31日に実施された平成13年度警察緊急自動車運転技能中堅指導者専科教養についていえば、同月10日から18日まで警察学校で講義を受けることが特に過重な業務といえないことは明らかであり、同月21日から31日まで中央研修所で実施された実技研修についても、スラローム走行、スキッド走行及び高速周回走行等が一定程度の精神的緊張を伴うものであることは窺えるが、これらはあくまで研修の一環として行われているのであって、これを日常業務と比較して特に過重な業務ということもできない。更に、同年2月3日の銃刀法事件の被疑者検挙についても、一定程度の精神的緊張を伴うものであることは窺えるが、そもそも原告は2名の部下を指揮して警邏活動を通じて犯罪の検挙活動を職務としていたのであって、上記銃刀法事件のほかにも、平成13年10月3日、12月14日、同月20日、同月26日に被疑者をそれぞれ検挙していること、上記銃刀法事件は被疑者の検挙に当たり、格闘になったり、追跡したり、発砲したりしたものではなく、職務質問及び所持品検査の上で覚醒剤所持等取締法違反の現行犯人として逮捕した後に、被疑者の自供に基づいて拳銃を発見し、併せて銃砲刀剣類所持等取締法違反で現行犯逮捕に及んだものであるから、これをもって特に過重な業務ということはできない。しかしながら、原告は日常業務として、警邏、犯罪の予防・犯人検挙その他事件・事故の処理、被疑者同行、実況見分、交通取締、緊急配置による警戒・検索・検問、110番通報事件処理等に従事しているのであって、その業務はその性質からして精神的緊張を伴うものであった上に、三部交替制における当番勤務も、拘束時間が長く、また原告の業務の性質及び勤務態様に照らすと、待機時間の存在を考慮しても、その労働密度は必ずしも低くはないということができる。
本件疾病発症前1週間(平成14年2月11日から16日)の就労状況については、当番勤務が2月11日及び12日、13日及び14日並びに15日及び16日と連続し、各当番勤務毎に拘束時間が31時間以上と極めて長いのに対し、休憩時間が2時間程度と極めて短く、深夜時間帯における仮眠も全く摂れずに深夜勤務を継続し、更に本来は翌日午前9時30分に勤務終了となるべきところを、午後3時30分頃まで残業しているのであって、時間外勤務時間数も上記期間中だけで47時間に達している。そして、二部交替制勤務においては一般的には1回の勤務について9時間の休憩時間が付与されるべきであるのに、1回当たり2時間程度の休憩時間しか取れなかったこと、同月13日からの二部交替制勤務においては通常業務に加えて、重要防護対象施設の重点警戒や警戒対象エリア内での要点警邏及び立ち寄り警戒等の警備活動もその任務とされたことをも考え合わせると、本件発症前1週間の勤務は、客観的に見て、それまでの精神的緊張を伴う業務の継続と相俟って、原告に異例に強い精神的又は身体的負荷を与える特に過重な公務であったということができる。
他方、原告は、脳内出血を発症しているのであるから、その発症の基礎となり得る素因又は疾患を有していたことは否定し難い。ことに原告には高血圧症があり、平成11年ないし平成13年の時点では降圧剤を処方されながらも重症高血圧となっていたから、その後降圧剤の処方を中止したことによって、本件発症当時には高血圧症が相当程度進行していたことが推認される。しかしながら、原告は本件疾病の発症まで、脳・心臓疾患により医療機関を受診したり、受診の指示を受けた形跡はなく、日常業務の遂行や日常生活に何らの支障もなかったのであって、肥満指数は軽度にすぎず、飲酒量も程度であり、1日20本の喫煙がどの程度原告の高血圧症に関与しているのかも不明であり、原告の基礎疾患の程度や進行状況を明らかにする客観的資料も存在しない。そうすると、本件疾病発症当時、原告の有する基礎疾患等が他に発症要因がなくてもその自然の経過により脳出血を生ずる寸前にまで進行していたと認めることは困難である。
そうすると、原告が本件疾病の危険因子の一つである高血圧症を有していたことを考慮しても、原告が本件疾病発症前に従事した公務の内容、態様、遂行状況に加えて、脳内出血の血管病変は慢性の高血圧症により増悪するものと考えられており、慢性の疲労や過度のストレスの持続が慢性の高血圧症の原因の一つとなり得るものであることを併せ考えれば、原告の上記基礎疾患が本件疾病の発症当時その自然の経過によって一過性の血圧上昇があれば直ちに脳内出血を来す程度にまで増悪していたと見ることは困難というべきである。他に確たる発症因子があったことが窺われない本件においては、脳内出血は原告の有していた基礎疾患等が本件発症前1週間に従事した過重な公務の遂行によりその自然の経過を超えて急激に悪化したことによって発症したものと見るのが相当であり、原告の公務の遂行と本件疾病の発症との間に相当因果関係の存在を肯定することができる。したがって、原告の発症した本件疾病は、地公災法施行規則1条の2、別表第一の「前各号に掲げるもののほか、公務に起因することの明らかな疾病」に当たるというべきである。 - 適用法規・条文
- 地公災法26条、28条、29条45条1項
- 収録文献(出典)
- 判例タイムズ1330号105頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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東京地裁-平成19年(行ウ)第421号 | 認容 | 2009年10月01日 |
東京高裁 - 平成21年(行コ)第345号 | 控訴棄却 | 2010年05月20日 |