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福岡中央労基署長(大手製薬会社)脳内出血死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 福岡中央労基署長(大手製薬会社)脳内出血死事件
- 事件番号
- 福岡地裁 - 平成20年(行ウ)第52号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 株式会社 - 業種
- 製造業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2010年02月17日
- 判決決定区分
- 棄却(確定)
- 事件の概要
- K(昭和36年生)は、平成元年7月、T製薬福岡支店に入社した後、平成13年4月、同支店営業部のナショナル部に配属され、Aスーパーを中心とする大型店を担当していた。
Kは、営業担当として主に事業場外で業務に従事していたため、労働時間を算定し難いとして、所定労働時間労働したとみなされていた。Kは、原則として、毎週月曜日に支店に出勤し、各担当店舗ごとの販売状況等のデータや問題点を報告し、今後の販売方針の提案を行うなどの事務処理を行い、火曜日から金曜日までは、自家用車を運転して、鹿児島県を除く九州各県に所在する各店舗を訪問しており、出張先で宿泊することが多かった。また、土日等の休日には、Kは月曜日に行われる営業会議のために、資料や報告書等の作成などを自宅で行っていた外、休日でも支店や各店舗からメールや電話連絡があり、これらへの対応をしていた。
福岡支店では、担当する企業ごとに年間の目標額が決められ、これを達成できなかった場合、評価が下がり、昇給に影響があったところ、Kは平成13年5月2日、同年4月の目標額の79.6%に終わった外、平成14年10月2日、同年9月30日現在で年間目標7000万円に対して実績3400万円と進捗率48.6%であったことから、年間目標達成のため、企画書を提出するなどしていた。
Kは、平成15年6月18日、宿泊していた佐世保市を出発し、長崎県内の店舗を訪問した後に熊本県のスーパーを訪問する予定であったが、上司Dの指示により予定を変更して大分に行き、Dとホテルで打合せをした後ホテルの部屋に帰ったところ、翌19日午前5時頃脳内出血により死亡した。
Kは、平成10年5月、C型慢性肝炎と診断されてインターフェロン治療を受けたものの完治せず、以後死亡するまで診察を継続したほか、平成15年1月19日細菌性髄膜炎と診断され、同日から同年2月8日まで入院治療をした。また、Kは、平成12年6月から平成15年6月までの年2回の定期健康診断において、軽症高血圧、肥満等と診断された外、喫煙はしなかったが、週に3日程度、1日当たりビール1、2本を飲んでいた。
Kの妻である原告は、Kの本件疾病の発症及びそれによる死亡は業務に起因するものであるとして、労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を請求したところ、同署長は、本件疾病は業務に起因して発症したものとは認められないとして、これらを支給しない旨の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 福岡中央労働基準監督署長が、平成16年10月29日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準について
労災保険法に基づく遺族補償及び葬祭料の保険給付は、労基法79条及び80条所定の「業務上死亡した場合」に支給されるものであるところ(労災保険法12条の8第2項)、ここにいう「業務上死亡した場合」とは、労働者が業務に起因して死亡した場合をいい、当該業務と当該死亡との間に相当因果関係があることが必要であると解される。また、労働基準法及び労災保険法による労働者災害補償制度は、業務に内在ないし随伴する各種の危険が現実化して労働者に傷病等をもたらした場合に、使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失の填補の責任を負わせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであるから、上記相当因果関係の有無は、当該傷病等が当該業務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。
そして、脳血管疾患発症の基礎となり得る素因又は疾病を有していた労働者が脳血管疾患を発症する場合、様々な要因が上記素因等に作用してこれを悪化させ、発症に至るという経過をたどるものであるから、その素因等の程度及び他の危険因子との関係を踏まえ、医学的知見に照らし、業務による過重な負荷が上記素因等を自然の経過を超えて増悪させ、疾病を発症させたと認められる場合には、その増悪は当該業務に内在する危険が現実化したものとして業務との相当因果関係を肯定するのが相当である。
2 Kの業務の過重性について
Kは、平成15年1月19日から2月8日まで入院治療を行い、同月19日まで休暇を取得していたもので、発症5ヶ月前の約1ヶ月間は業務を行っておらず、またKの業務内容は、福岡支店における営業会議の出席、Aスーパーとの商談、周辺の店舗の訪問、訪問店舗における商品陳列、販売促進品の設置、サービス品の添付及び在庫数の把握などの販売促進活動や、概ね3ヶ月から6ヶ月に1回の頻度で行われる棚替えなどであり、これらの業務は一定の負荷はあるものの、これらの業務自体をもって直ちに過重な業務であったということはできない。
しかし、上記入院及び休暇取得期間の約1ヶ月を除けば、Kは自宅又はホテルに帰った後も営業日誌の作成を行ったり、土日に併せて少なくとも3時間は営業会議等の資料や報告書を作成するなどしていたものであり、Kが実質的に取得できた休日は、本件発症前1ヶ月間が3日、2ヶ月前の1ヶ月間が5日、3ヶ月前の1ヶ月間が5日、4ヶ月前の1ヶ月間が4日、6ヶ月前の1ヶ月間が12日であり、Kの時間外労働時間は、それぞれ、93時間14分、68時間23分、91時間46分、85時間20分、42時間となる。
被告が依拠する新認定基準は、1ヶ月当たり概ね45時間を超えて時間外労働が長くなるほど業務と発症との関連性が徐々に強まると評価でき、発症前1ヶ月間に概ね100時間又は発症2ヶ月間ないし6ヶ月間にわたって、1ヶ月当たり概ね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できるとされている。この点、Kの時間外労働時間は、年末年始を含む発症6ヶ月前の1ヶ月間以外は45時間を大幅に超え、発症前1ヶ月間は100時間を僅かに下回る程度であるほか、いずれも80時間を超えるものになっており、仮に年末年始、ゴールデンウィーク及び長期休暇がなければ、発症前6ヶ月間の平均が80時間を超えるものになっていたであろうことは容易に推認することができる。したがって、Kの時間外労働時間は、新認定基準に照らしても、この基準を超えているか、これに極めて近いものとなっているというべきであり、Kの業務は、労働時間の点だけをみても、精神的・肉体的に負荷の大きいものであったといえる。
また、入院及び休暇取得期間を除く本件発症前5ヶ月間のKの出勤日数97日のうち、出張が68日、そのうち宿泊が50日と、多数回の宿泊を伴う出張業務に従事していたものであり、またKは九州各県の店舗を訪問するため自家用車を運転して高速道路を走行するなどし、発症前3ヶ月間の移動距離合計は、約1万4372kmに達し、最長で1日778km
に達した日もあったものである。
一般に、出張業務、特に遠方への出張は拘束時間も長く、特に、自ら自動車を運転して高速道路等を走行する場合には、相当程度の精神的緊張を強いられるものであり、また宿泊を伴う出張業務の場合には、生活環境や生活リズムの変化等、自宅での就寝と比較して疲労の回復が十分にできず、疲労が蓄積する可能性が高いことから、Kの精神的・肉体的負荷は相当に大きなものであったといわざるを得ない。加えて、Kが平成13年4月頃から本件疾病によって死亡するまで、長距離・長時間かつ宿泊を伴う出張業務を恒常的に行っていたものと推認できるのであり、Kの上記負担による疲労の蓄積は、更に強いものであった可能性が高い。そして、Kが罹患した細菌性髄膜炎は、かなり重篤な症状を伴うものであり、入院期間はもとよりその後の休暇期間も、それまでに蓄積された疲労を回復させるに十分な休養期間とはいい難く、それまでの疲労に加えて、その後4ヶ月間の疲労が更に蓄積されることになったものと考えるのが相当である。
以上のとおり、Kは、平日の通常業務以外にも自宅や宿泊先のホテルで業務を行ったり、休日に出勤するなどして、相当の時間外労働を長期間にわたって恒常的に行っており、また、長距離・長時間かつ多数回の宿泊を伴う出張があり、特に自ら自家用車を運転して高速道路を長時間走行するなどしていたものであって、これらを総合すると、全体として業務によるKの精神的・肉体的負荷は相当程度重かったということができる。
3 Kの基礎疾患について
Kの血圧は、平成13年以降、軽症高血圧症に分類され、特に本件疾病発症直前には中等症高血圧に分類されるものであり、定期健康診断において要観察又は要精検と指摘されていた。また、Kは平成12年以降、肥満と判断されるものであり、ガイドラインにおいて脳・心臓疾患のリスクが中等リスクに相当するものであった。ところがKは高血圧に関する治療を何ら受けていなかったというのであるから、Kは平成12年頃から危険因子としての高血圧症を有しており、これが進行して、本件疾病の発症原因となり得る脳動脈瘤等の素因等を有していたといわざるを得ない。しかしながら、Kの血圧が中等症高血圧に分類される値になったのは平成13年6月1日と平成15年6月2日のみであり、直ちに治療を受けることが必要な状態にあったわけではなく、その症状の程度は未だ軽症の範疇にあったといえる。また、Kは細菌性髄膜炎で入院した時に血圧測定を受けたが、頭蓋内出血に対する危険因子に関して特段の指摘を受けていない。加えて、Kには健康に悪影響を及ぼすと認められる嗜好はなかったものである。したがって、Kは、危険因子である高血圧症が進行し、本件疾病当時に脳血管疾患を発症する可能性が一定程度認められる状態にあったと考えられるものの、Kの有していた素因等が、本件疾病当時、他に確たる発症因子がなくてもその自然の経過によって一過性の血圧上昇があれば直ちに脳血管疾患を発症させる程度にまで増悪していたとみることは困難である。
4 まとめ
以上のとおり、Kが従事していた業務は過重なものであったと評価できるところ、Kが有していた素因等が、確たる発症因子がなくてもその自然の経過によって本件疾病を発症させる程度にまで増悪していたということは困難である。したがって、他に確たる発症因子が認められない本件において、本件疾病は、Kが従事していた業務の過重負荷がKの有していた素因等を自然の経過を超えて増悪させた結果発症したものと認めるのが相当である。したがって、Kの本件疾病とKの業務との間に相当因果関係があるというべきであり、本件疾病に業務起因性が認められるから、これを否定した本件処分は違法といわなければならない。 - 適用法規・条文
- 労働基準法79条、80条労災保険法12条の8第2項、16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例1009号82頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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