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地公災基金静岡県支部(養護学級担任教諭)自殺事件

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
地公災基金静岡県支部(養護学級担任教諭)自殺事件
事件番号
静岡地裁 - 平成16年(行ウ)第22号
当事者
原告 個人1名

被告 地方公務員災害補償基金静岡県支部長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2007年03月22日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 甲は、昭和54年4月、静岡市公立学校教諭として採用され、B小学校(B校)で、平成9年度に養護学級での授業を週3〜4回受け持ち、平成10年度には同学級の担任となり、男子児童2名を受け持っていた。甲は平成11年4月にA小学校(A校)に転任となり、新設された養護学級の担任として、知的発達停滞児の1年生男子2名を受け持った。

 平成12年1月20日から2月2日までの正味11日間、児童福祉施設に併設された分教室に在籍する児童のA校での体験入学が実施されたが、体験入学する児童(体験児童)が問題児であるとして、在籍児童の母親からの強い拒絶を受けたため、甲は校長に対し体験入学を避けるよう要請した。結局体験入学は予定通り実施されたが、甲は本件体験入学の途中から胃痛や喉の痛み等で体調を崩し、それは体験入学終了後も続き、落ち込み、朝が辛い、胸が締め付けられる、睡眠が取れない等の症状を訴えて受診したところ、うつ状態と診断された。甲は同年4月20日、うつ病で3ヶ月程度の休養が必要との診断書を受け休職したが、同年6月12日には主治医から職場復帰可能と診断されるまでに回復した。しかし、その後再び症状が悪化し、自らの判断で睡眠薬を半分にしたり、ホルモン補充療法を受け始めるなどする中で、職場復帰予定日(同年7月21日)が近づくにつれて病状が更に悪化し、発症前後と同様の状態になった。その後甲は主治医の勧めもあって9月まで休職することとなり、症状が改善しないまま、同年8月2日、両親、生徒、主治医に対する感謝と体験児童に対する怒り、恨みなどを記載した遺書を遺して縊死により自殺した。
 甲の母親である原告は、甲は不本意な転任をさせられた上、障害児学級で過度の負荷を受け、本件体験入学により極めて重い精神的負荷を負ってうつ病に罹患したものであるから、甲のうつ病の罹患及びこれによる自殺は公務に起因するとして、地公災法31条に基づき、遺族補償給付の支給を請求した。これに対し被告がこれを棄却する処分(本件処分)をしたことから、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は、原告の負担とする。
判決要旨
1 公務起因性の有無

 地公災法31条の「職員が公務上死亡した場合」とは。職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、同負傷又は疾病と公務との間に相当因果関係のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならない。そして、地公災補償制度が、公務に内在ないし随伴する危険が現実化した場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、その危険性の存在のゆえに使用者がその危険を負担し、職員に発生した損失を補償するのが相当であるという危険責任の法理に基づくものであることに鑑みると、上記相当因果関係があると認められるためには、当該公務と死亡の原因となった負傷又は疾病との間に条件関係が存在するのみならず、社会通念上、当該疾病等が公務に内在ないし随伴する危険の現実化したものと認められる関係があることを要するというべきであり、公務が単に疾病等の誘因ないしきっかけに過ぎない場合には相当因果関係を認めることはできない。

 公務と精神障害の発症や増悪との間に相当因果関係が肯定されるためには、単に公務が他の原因と共働して精神障害を発症もしくは増悪させた原因であると認められるだけでは足りず、当該公務自体が、社会通念上、当該精神障害を発症もしくは増悪させる一定程度以上の危険性を内在ないし随伴していることが必要と解するのが相当である。公務と精神障害の発症との相当因果関係の存否を判断するに当たっては、ストレス(公務による心理的負荷と公務以外による心理的負荷)と個体側の反応性、脆弱性とを総合的に考慮し、公務による心理的負荷が、社会通念上、客観的にみて、精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合には、公務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして、当該精神障害の公務起因性を肯定することができると解すべきである。

2 A校における甲の日常の職務の過重性について

 甲は、本件体験入学実施前後にうつ病に罹患し、休職の上治療を受けることによって一時はその症状が軽快したものの、復職間近になって重症化し、うつ病に基づく自殺念慮に寄って自殺したものと認められる。

 A校において甲が受け持っていた養護学級は、普通学級に比べれば児童数は少ないが、他方、児童の個々の障害に合わせたきめの細かい教育指導が要求される点で、それだけ手間がかかることも否定し難い。更に、1)B校からA校への転任が甲にとって不本意であったこと、2)新設されたばかりのA校の養護学級には障害児教育のための教材や教具が不足していたこと、3)甲の日記を見ても、在籍児童に対する指導方法に思い悩んでいた様子が認められることなどに照らすと、A校に転任後の職務について、甲が自己の能力に照らして大変と感じていたであろうことは推認される。

 しかしながら、甲はB校において、平成9年度は養護学級で週3〜4時間の授業を受け持ち、平成10年度には養護学級の担任をしており、養護学級担任の職務に不慣れであったとはいえない。また、A校における養護学級の児童数は2名であるが、平成12年度当時、県内の小学校の養護学級のうち、児童数4名以上の学級が6割近くを占めていたことからすると、甲が担当した児童数が特別多いとはいえない。更に、公立学校の教員にとって職場の変更は珍しいことではないし、本件養護学級の教材及び教具の不足についても、平成11年6月以降は改善されて行った様子が窺われるほか、平成12年3月になると、甲は次年度も持上がりで本件養護学級を担任したいと希望していたのである。そして、甲はほぼ毎日定時に退庁しており、平日午後6時まで残ることはほとんどなかった上、平成11年4月から12月までの間、年休を13日と3時間取得し、休日労働はなかったことなども考慮すると、十分な疲労回復時間が確保されていたというべきである・

 以上によれば、甲の休職中にその職務を引き継いだ養護教育について全く経験のない教師歴6年間の講師や、甲の自殺後に本件養護学級の担任になった新規採用の講師さえも、特に問題なく職務を行っていたなどに照らすと、A校における日常の職務が、甲に対して強度の心理的な負荷を与えるものであったとは考え難い。

3 本件体験入学実施による過重性の有無

 本件体験入学は、その実施が決まってから約1ヶ月かけて、1)A校と分教室との打合せ(2回)、2)A校内での事前打合わせ(4回)、3)体験児童の保護者との事前打合せ(1回)、4)在籍児童保護者に対する説明会(1回)等を経た上で実施されたものであり、甲には、本件体験入学実施の決定を受け入れ、体験児童を迎え入れるための十分な情報と時間的余裕が与えられていたものである。また、その内容を見ても、実施期間は2週間限りとされ、通常の授業とほとんど変わらないカリキュラムが組まれていた上、甲が特別に用意した教材は練習用プリント程度に止まること、体験児童の唾吐き、暴力行為等については、手の空いている教師が授業に参加するよう申合わせがされていたこと、実際に体験児童の問題行動により授業運営に支障を来すような事態が発生した場合は、その都度教職員が体験児童の相手をするなど、甲1人に負担がかかり過ぎないように配慮していたこと、甲は教師になって22年目であり、前任校でも養護教育を2年間担当し、障害児に対する接し方についてもそれなりのノウハウを身に付けている様子が窺えること、養護教育について経験の乏しい講師らさえも、体験児童の相手を無難にこなしていたことなどの事実を総合すると、本件体験入学の実施が、客観的にみて、甲に対し強度の心理的負荷を与えるものであったことは認め難い。

4 結 論

 以上検討したところを総合すれば、甲の日常の職務や本件体験入学の実施による負荷が、社会通念上、客観的にみて、うつ病を発症させる程度に過重であったと認めるのは困難といわざるを得ない。甲の日記やノートの内容及び甲の症状に関する医師の意見をも合わせ考えれば、甲が本件体験入学の実施に強いストレスを感じ、それがうつ病の誘因となったことは否定できない。しかしながら、本件体験入学が、その期間、目的、事前打合せ、実施形態等に照らし、社会通念上当該職務担当者にうつ病を発症させるような負荷を与えるものであったと認めることができない本件にあっては、上記ストレスは当該公務それ自体がもたらしたものであるというより、甲が本件体験入学について過剰なまでの拒否反応を抱き、その事態をうまく受け入れてその気持ちを対処できなかったことから生じたものというほかない。そして、うつ病発症のメカニズム、機序については、精神医学的に未だ完全には解消されていないのが現実であるものの、それまで顕在化していなかった個体側要因が前記ストレスをきっかけに発現し、これによりうつ病が発症したものと解することは十分可能である。したがって、当該公務自体が、うつ病を発症させる程度に過重であると認められない本件においては、甲のうつ病の発症につき公務起因性を認めることはできない。
適用法規・条文
地方公務員災害補償法31条
収録文献(出典)
その他特記事項
本件は控訴された。