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神戸東労基署長(鉄道システム会社グループ長)自殺事件

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
神戸東労基署長(鉄道システム会社グループ長)自殺事件
事件番号
神戸地裁 - 平成20年(行ウ)第20号
当事者
原告 個人1名

被告 国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2010年09月03日
判決決定区分
認容(確定)
事件の概要
 T(昭和21年生)は、大学院修士課程を卒業した昭和46年にS社に入社し、昭和63年5月に同社を退職したが、平成9年11月にS社の招きで再入社し、平成10年1月には、新たに設立された産業プラント事業部輸送システム部のシステム技術グループのグループ長に就任した。輸送システムグループでは、受注額につき、平成10年20億円、平成11年80億円の受注目標が与えられていたが、実際には受注に至らず、平成12年春頃にはTは妻に対して何の成果も上げられないと言うようになった。

 平成12年から、450億円規模の韓国の仁川国際空港とソウル市内を結ぶ鉄道システム建設プロジェクト(韓国案件)が立ち上がり、C社、D社が共同で出資、受注に向けた取組を開始したが、その後C社は予算額の調整が困難となり、韓国案件から撤退した。このためC社の抜けた後釜として、S社がこれを請け負うこととなり、輸送システムグループがその担当となって、Tは全体の取りまとめ役として、平成12年8月から12月にかけて6回韓国に出張したところ、同年12月頃にうつ病に罹患した。その後韓国案件は受注に向けて進められ、受注直前までいったが、結局納期について合意に至らなかったことから、S社は同年3月下旬、韓国案件を断念した。

 Tは、平成14年5月7日、診察を受けて、「抑うつ状態」、「1ヶ月の休養・加療を要する」との診断を受けたが、入院を拒み、翌8日朝には家の中を苦しそうに歩き回っており、翌9日午後3時30分頃、自宅のクローゼット内で縊首の方法により自殺した。Tのうつ病発症前6ヶ月間(平成12年6月13日〜12月12日)の月当たり時間外労働時間数は、発症前1ヶ月82時間、同2ヶ月87時間、同3ヶ月72時間、同4ヶ月67.5時間、同5ヶ月68時間、同6ヶ月79時間であり、Tの死亡直前6ヶ月間(平成13年11月9日〜平成14年5月8日)の月当たり時間外労働時間は、死亡前1ヶ月44.5時間、同2ヶ月57時間、同3ヶ月74時間、同4ヶ月85時間、同5ヶ月55時間、同6ヶ月70時間であった。

 Tの妻である原告は、同年6月21日、労働基準監督署長に対し、Tの死亡は業務に起因したものであると主張して、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給するよう請求したが、同署長は平成15年9月4日付けで、Tの死亡は業務上の事由によるものではないとして、これらを支給しない旨の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、原告は本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 神戸東労働基準監督署長が原告に対し平成15年9月4日付けでした遺族補償給付及び葬祭料の支給をしないとの決定を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
1 業務の危険性判断の基準となる者について

労災保険法に基づく保険給付は、労働者の死亡について行われるところ、業務上死亡した場合とは、労働者が業務に起因して死亡した場合をいい、業務と死亡との間に相当因果関係があることが必要であり、上記相当因果関係があるというためには、当該災害の発生が業務に内在する危険が現実化したことによるものとみることができることを要すると解すべきである。そして、同法による労働者災害補償保険制度が使用者等の過失の有無を問わず、業務に内在する危険が現実化したことにより、当該労働者に生じた損害を一定の範囲で填補するという危険責任の法理に依拠したものであること、また、うつ病を始めとする精神障害の発症については、単一の病因ではなく、素因、環境因の複数の病因が関与すると考えられていること、更に、精神障害の病因としては、個体側の要員としてのストレス反応性、脆弱性等もあり得ることからすれば、上記相当因果関係があるというためには、これらの要因を総合考慮した上で、業務による心理的負荷が、社会通念上、精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合に、当該災害の発生が業務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したことによるものとして、これを肯定できると解すべきである。

 業務に内在する危険性の判断については、上記の危険責任の法理に鑑みれば、当該労働者と同種の平均的な労働者、すなわち何らかの個体側の脆弱性を有しながらも、当該労働者と職種、職場における立場、経験等の点で同種の者であって、特段の勤務軽減まで必要とせずに通常業務を遂行できる者を基準とすべきである。このような平均的労働者にとって、当該労働者の置かれた具体的状況における心理的負荷が一般に精神障害を発症させる程度に危険性を有しており、他方で、特段の業務以外の心理的負荷及び個体側の要因のない場合には、精神障害の発症は、まさに業務に内在する危険が現実化したものであるといえ、業務と精神障害発症及び死亡との間に相当因果関係が認められると解するのが相当である。

2 発症後の心理的負担を考慮することの可否について

 業務上の負荷によりうつ病等の精神障害を発症した者が、まだ完全に行為選択能力や自殺を思い止まる抑制力を失っていない状態において、改めて、社会通念上、平均的労働者がうつ病を発症する程度の心理的負荷を受けた結果、希死念慮を生じ、自殺を行う場合があり、そのような場合には相当因果関係を認めるのがむしろ合理的といえる。そうすると、精神障害の発症後においては、業務上の負荷を、その程度にかかわらず業務起因性の判断の際の考慮要素としてはならないとする被告の主張は採用できない。

3 Tが業務によって受けた心理的負荷の強度について

 Tが所属する輸送システムグループは平成12年に至っても1件も受注がない状態であり、Tは成果が上がっていないことについて焦りを口にするようになったことなどから、Tが受けたストレスは相当強度のものであったと評価できる。このような中で、Tは韓国案件の受注活動に取り組むことになったが、同案件は450億円と規模が大きく、関係部署との調整といった業務にも従事し、平成12年度には、短期間に連続して韓国に出張して交渉を行っていた。しかし、韓国案件の受注活動は進捗しているものの、輸送システムグループに受注実績がない状況には変わりはなく、このような状況に照らせば、Tの心理的負担は大きなものであったといえる。


 そして、受注がない状況が継続していることは、判断指針にいう「自分の関係する仕事で多額の損害を出した」場合には該当しないものの、経費の持出しなどを評価すれば、損害を出したことと同等の出来事に該当するといえること、更に受注目標自体はノルマとまでは認められないものの、判断指針における「ノルマの達成が出来なかった」出来事に類似するものであること等の事実関係を総合すれば、Tの発症前6ヶ月の労働時間は恒常的な長時間労働には該当しないとしても、Tの業務負担は相当程度過重であったと認められるから、Tの業務による心理的負荷は「強」であったものというべきである。

 加えて、Tがうつ病を発症した後には、1)平成14年2月頃から韓国案件について問題が生じてきたこと、2)同年3月下旬頃までには韓国案件が結局破談となり、輸送システムグループとしては発足以来4年以上受注がないことが確定したこと、3)それにもかかわらず、新たに入札保証金の没収問題が生じたこと、4)S社内部において、輸送システムグループの状況に対し、「金食い虫」等といった厳しい指摘がなされたこと等により、Tは相当程度の心理的負荷を受けていたものと認められる。そうすると、これらのTのうつ病発症後の事実関係は、Tが既に罹患していたうつ病を悪化させる可能性があったとはいえ、逆に軽減させるものではなかったということができる。

4 業務以外の心理的負荷や固体側要因の検討

 Tには業務以外にうつ病等の精神障害が発症する原因となるべき心理的負荷要因や精神障害の既往症も認められず、うつ病の発症につながる個体側要因は存在しない。これに対し専門部会意見は、Tの性格傾向が几帳面、生真面目で責任感が強く、頑固なところがあり、このような傾向は心理的負荷に対する脆弱性を示しやすい性格であるとし、このことはTの精神障害の発症に関して充分に考慮すべき点であると判断している。しかし、上記のようなTの性格傾向は、通常の性格の現れとしての範疇にとどまり、Tのストレス脆弱性が顕著であるといえないことは明らかであり、他にTのうつ病発症につながる個体側要因を認めることはできない。

5 まとめ

 以上認定したとおり、Tが従事した業務は、平均的労働者を基準として、社会通念上、精神障害を発症させる強度の心理的負荷を生じさせる過重なものであったといえ、判断指針によっても、Tのうつ病発症前の業務の心理的負荷の総合評価は「強」であり、他方、Tにはうつ病発症につながる業務以外の心理的負荷や固体側要因もないのであるから、Tのうつ病発症は同人の業務に起因するものであると認めることができる。
適用法規・条文
労災保険法7条、12条の8、16条の2
収録文献(出典)
判例タイムズ1338号85頁
その他特記事項