判例データベース
諫早労基署長(D社)事件(パワハラ)
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 諫早労基署長(D社)事件(パワハラ)
- 事件番号
- 長崎地裁 - 平成21年(行ウ)第7号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2010年10月26日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(控訴)
- 事件の概要
- 原告(昭和22年生)は、昭和40年2月に長崎D商会に入社し、その後商号変更によりD長崎販売株式会社(本件会社)に勤務し、平成13年1月まで部品用品部の事実上の責任者の地位にあったが、同月にB部長が就任して原告の上司となった。B部長は就任後しばらくすると、原告に対して「中途半端な人間、凝り固まった化石」などと人格を貶める発言をしたり、事ある毎に厳しい叱責をしたりするようになり、周囲の社員も他の社員に比べて数段厳しいと感じていた。
原告は同年9月に部品営業部多良見営業課外販担当に配置換えになったが、役職定年前に外販担当に配置換えとなるのは異例の異動であった。外販担当に異動後の原告にB部長から課されたノルマは、平成13年9月から平成14年6月までの平均が対前年度比で128%であって、他の社員よりも高く設定されており、特に平成14年6月のノルマは対前年比で177.2%と極めて高く設定されていた。原告は、平成13年9月から平成14年5月までは、1月を除きノルマを達成したが、同年6月以降はノルマを達成できなかったことから、同月以降はノルマ達成のため振替休日にも出勤するようになった。平成13年10月から平成14年12月までにおける原告の月間時間外労働時間は、平成13年10月80時間02分、11月71時間30分、12月69時間36分、平成14年1月69時間45分、2月71時間30分、3月82時間30分、4月79時間、5月78時間30分、6月75時間30分、7月83時間、8月81時間25分、9月81時間30分、10月86時間28分、11月85時間、12月83時間04分であった。
B部長は、個人別の売上表を作成させ、ミーティングなどの場で、「売上げ、実績が上がらない役に立たない者は辞めていい」などと述べ、原告に対しては「あんた給料高いだろ。自分の給料の5倍くらい働かなければ合わない」などと叱責した。また、平成14年9月ないし11月頃、原告のノルマ達成率が60%に達していなかったことから、原告はB部長から他の従業員の前で「必要ない、辞めた方がいい」と言われたり、無能呼ばわりされたりした。
平成14年1月に原告は内規によって役職定年となり、一般社員と同一の扱いとされることになり、更に同年12月24日に平成15年1月1日から島原店に、同店の担当者との交代の形での異動の内示を受けた。原告は、これまで役職定年後に出先に異動する例がなかったことから左遷と捉えてショックを受けて死を考えるようになり、島原店に異動となった後の平成15年1月13日、自宅で、とっさに目の前にあったハサミを胸に刺して病院に搬送された。原告は、同月15日から同年6月13日までの間、精神科に入院し、医師からうつ病の診断を受け、平成16年10月15日付けで本件会社を退職した。
原告は、B部長から達成困難なノルマを課せられて厳しく叱責され、長時間労働を強いられたこと、役職定年前に事実上の降格となる外販担当となったこと、島原店への異動は明らかな左遷であり、原告の退職を求める人事であったこと、B部長と原告との関係は単なる上司と部下とのトラブルに留まらず、パワハラと評価できること、業務量も同種の労働者と比較して相当程度過重であったこと、他方原告には業務以外の心理的負荷や固体側要因が認められないことを主張し、原告のうつ病発症及び自殺未遂は業務に起因するものであるとして、諫早労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づき休業補償給付を請求した。しかし、同署長から休業補償給付の不支給処分(本件処分)を受けたため、これを不服として審査請求更には再審査請求をしたがいずれも棄却の裁決を受けたことから、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 諫早労働基準監督署長が、原告に対して平成17年11月29日付けでした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 諫早労働基準監督署長が、原告に対して平成17年12月15日付けでした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分(ただし、平成15年12月8日以前の休業補償給付を支給しないとした部分を除く。)を取り消す。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準
労災保険法に基づく保険給付(休業補償給付)は、労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡について行われるところ、労働者の疾病等が業務上の事由によるものであるというためには、業務と疾病との間に相当因果関係があることが必要である。そして、労災保険法に基づく補償制度は、業務に内在ないし随伴する各種の危険が現実化して労働者に疾病等の結果がもたらされた場合には、使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失の填補をさせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであることからすれば、上記相当因果関係の有無は、その疾病等が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価することができるか否かによって決せられるべきである。
精神障害の成因には、個体側の要因としての脆弱性と環境要因としてのストレスがあり得るところ、上記の危険責任の法理に鑑みれば、業務の危険性の判断は、当該労働者と同種の業務に従事し遂行することを許容できる程度の心身の健康状態にある平均的な労働者を基準とすべきであり、このような平均的な労働者にとって、当該労働者の置かれた具体的状況におぇる心理的負荷が一般に精神障害を発症させる危険性を有しているといえ、特段の業務以外の心理的負荷及び個体側の要因のない場合には、業務と精神障害の発症又はその増悪との間に相当因果関係が認められると解するのが相当である。
被告は、原告のうつ病の業務起因性の有無については、発病前概ね6ヶ月の間に客観的に原告にうつ病を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められるか否かによって判断されるべきであると主張し、判断指針にも同旨が定められている。判断指針の内容は不合理とはいえないが、精神障害の発病に当たって評価対象とすべき心理的負荷の期間は6ヶ月間に限られるものではなく、時間の経過とともに出来事が受容され心理的負荷が軽減されることを考慮して、負荷の程度を判断するのが相当である。
また、被告は、うつ病発病後の重症化は個体の脆弱性が増大することによるのであるから、業務起因性を判断するに当たっては、うつ病発病後の事情は考慮すべきでない旨主張する。しかし、精神医学上、うつ病の増悪も発病と同様、生物学的、心理的、社会的側面が絡み合って起きるものであると考えられていることからすれば、うつ病発症後の業務により既に発症した精神障害が増悪することもあり得る。そうすると、発症後の業務が、客観的に見て、労働者に過重な心理的負荷を与えるものであり、これにより既に発症していた精神障害が増悪したと認められる場合には、業務起因性を認めるのが相当である。
2 うつ病の発病時期及びその後の経過等
平成14年6月度のノルマは前年実績の177.2%と極めて高く設定されていること、ノルマ達成には至らなかったものの、同月の原告の売上げは前年実績比127.8%であり、前年実績と売上げの対比で見ると、外販担当5人中1位であることが認められる。これらの事実からすれば、同月に原告がノルマを達成できなかったことをもって原告の仕事の能率が低下していたと認めることはできず、むしろ従前と同程度の能率を維持していたことが窺われる。他方、同年8月又は9月頃から原告の行動が変化し、睡眠障害が生じたのが同年の夏頃であるところ、同年6月から12月までのノルマが達成できなかったことについて、原告が「意欲が湧かない。集中力がない。記憶がおぼろ。判断に欠ける」という感じがあった旨述べていることからすれば、同年夏頃までには、抑うつ気分、興味と喜びの喪失、活動量の減少、集中力と注意力の低下及び睡眠障害といったうつ病エピソードの症状が出現していたことが認められる。加えて、原告を診察した医師が平成14年夏頃にうつ病を発症したと思われる旨指摘していること等を考慮すると、原告のうつ病は遅くとも同年の盆頃までには発病していたものと推認される。
3 本件における業務起因性の有無
平成13年1月にB部長が着任した後、同年9月に外販担当に異動するまでの間、原告はB部長から長時間にわたる説教や叱責を受けることがあり、人格を貶めるような発言が認められることに加え、原告がB部長について、「今まで接したことのないくらい厳しい性格の人」、「同席していた社員が、その場にいるのが嫌になるくらいの凄い叱責を受けていたことを聞いたことがある」などと述べていることからすると、B部長の原告に対する叱責は、指導の程度に止まらない程度に厳しいものであったことが推認される。そうすると、平成13年1月から9月までの間のB部長の説教や叱責が原告に与えた心理的負荷は強度のものであったということができ、判断指針によるその心理的負荷の強度は「」に修正されるべきである。そして、外販への異動後もB部長は原告の上司であり、厳しいノルマを設定するなどしていたことからすると、異動により心理的負荷が解消されたとはいえず、上記出来事がうつ病発症時期よりも相当程度前の出来事であり、発病から遡れば遡るほど出来事と発病の関連性の認定が困難となることを考慮しても、外販異動前のB部長の説教や叱責が原告のうつ病発病に影響し得ない出来事であったということはできない。
役職定年前の外販担当への異動は異例のことであり、欠員が生じたことを理由とする人事であるとしても、それだけで十分な合理性があるとはいい難く、その心理的負荷は無視できる程度のものとはいえない。また外販異動後には厳しいノルマが設定されるなど業務上の負担が生じており、その発端が外販担当への異動にあることからすれば、原告がノルマ達成のために意気込みを示していたとしても、そのことから原告の心理的負荷が解消したと認めることはできない。
業務外の出来事による心理的負荷については、原告が高血圧の治療を受けてきたことや、白内障の治療を受けていたことが認められるが、これらが原告のうつ病を発症させる要因となり得ることを認めるに足りる証拠はない。また、原告の個体側の要因については、原告に精神障害の既往歴はなく、アルコールへの依存も認められず、原告の性格傾向等や平成13年以前の勤務状況等に特段問題が生じていたことが窺われないことからしても、原告にうつ病発症に寄与するような個体側要因があるとは認められない。
精神障害に寄与したであろう複数の出来事が重なって認められる場合のストレスの強度は総合的に評価すべきであるところ、外販異動前のB部長による指導の範囲を超えた厳しい叱責、外販異動後の厳しいノルマの設定及びそのノルマの不達成など、原告のうつ病発症時期前の出来事に限っても、判断指針によれば、その心理的負荷の強度は「相当程度過重」ないし「特に過重」なものとして、総合評価は「強」とされるべきであり、平均的な労働者に精神障害を発症させるおそれのある程度の強度の心理的負荷があったということができる。また、その後の継続的なノルマの不達成、それに対するB部長の厳しい叱責及び島原店異動に伴う勤務状況の変化等も、平均的な労働者に対して過重な心理的負荷を与えるものであったということができ、これらの出来事が原告のうつ病を増悪させた可能性は高いというべきである。
他方、原告には、業務外の出来事による心理的負荷が窺われないこと、原告に個体側の要因が認められないことからすると、業務と原告のうつ病発症との間には相当因果関係が認められるというべきであり、またうつ病発病後は過重とはいえないストレスによりうつ病が増悪し得るとしても、原告に業務外の出来事による心理的負荷の存在が窺われないことを考慮すると、業務と原告のうつ病の増悪との間の相当因果関係も認められるというべきである。以上によれば、原告の精神障害(うつ病)は業務起因性が認められるから、本件各処分はいずれも違法なものというべきである。
なお、原告は休業補償給付の支給申請を行っているが、原告の休業補償給付受給権中、平成15年6月14日から12月8日までの部分は、2年の時効期間経過により消滅しているから、諫早労働基準監督署長が原告に対してした休業補償給付を支給しない旨の処分のうち、上記期間の休業補償給付を不支給とした部分に違法はない。 - 適用法規・条文
- 労災保険法7条1項、14条、42条
- 収録文献(出典)
- 労働判例1022号47頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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