判例データベース
自動車会社バイヤー自殺事件(パワハラ)
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 自動車会社バイヤー自殺事件(パワハラ)
- 事件番号
- 神戸地裁姫路支部 - 平成20年(ワ)第475号
- 当事者
- 原告 個人2名 A、B
被告 M自動車株式会社 - 業種
- 製造業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2011年02月28日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却
- 事件の概要
- 被告は乗用車、トラックの製造販売を業とする株式会社であり、Cは平成16年4月被告に入社し、バイヤーとして勤務していた者である。Cは平成18年11月からエンジンフィルターの担当となり、取引相手はほとんど英国のS社であった。
平成18年11月、高油圧用エレメントラベルが貼られた箱に低油圧用エレメントが誤梱包されて出荷され、その一部が既に市場に出回っていることが判明した(誤品納入問題)。またS社製のエコタイプフィルターに関しカバーが割れる不具合(エコタイプフィルター不具合問題)があり、被告でも11万4000台の車両のリコールが必要になっていたが、被告とS社との責任比率が未決定となっていた。S社の製品の品質が低く、S社はコスト削減のため自ら上海において選別を行う旨被告に提案した(中国移管問題)が、被告はレベルダウンを危惧してこれを拒否したところ、S社は被告が従来通りM社による品質選別を要求するなら値上げすると通告し、フィルターの出荷を停止した(出荷停止問題)ため、生産ラインがストップする危険が生じた。Cは、S社担当として、一方で中国移管を認めるわけにはいかないが、他方でこれを認めないと出荷が再開されない恐れがあるという板挟みの状態に陥った。
平成19年3月2日、被告とS社間で、オイルフィルター品質選別工程の中国移管につきテレビ会議が開催され、Cはその中でS社に対し、従来とおりの方法・価格でフィルターを提供するよう主張したが、S社はこれに応ぜず、会議は平行線のまま終わった。同月8日、S社の上海マネージャーが被告に来社し、Cも出席して会議が行われ、この中で被告は、オイルフィルターの出荷を直ぐに再開すること、S社上海の選別のトライアルを行ってM社と同レベルであるとの確認がとれた後に取引を開始すること等の提案をした。更に被告では、出荷問題については部長であるDが直接対応することとし、オイルフィルターの出荷の再開を約束させ、品質工程の中国移管についても今後継続協議をすることで合意し、出荷が再開した。
同月18日、Dはコミュニケーションワークの講師派遣の依頼を受けてCを推薦し、Cは昇給を告知されたが、まだそこまでのレベルではないなど自信のない様子を見せた。同月30日に開催予定の品質会議におけるS社オイルフィルター誤品納入問題についての報告に関し、CはグループマネージャーE、アシスタントマネージャーFの確認をとったところ、内容不十分のため5月に延期され、そのことでCはプロセス改善グループのマネージャーから厳しく注意された。その後Cは、会議等で、S社が難しい相手であって自分で抱え込まないよう、上司に相談するようアドバイスを受けたが、「これは自分の担当」と強く主張するなどした。
同年3月30日、Cは、中国移管問題に関する経緯や、S社の品質状況、取引上の問題点等をまとめ、S社上海を新規取引先として認定するよう、E、Fとともに販売本部長の承認を求めたが差し戻された。この承認は結局同日中に得られたが、Eから厳しく叱責された。Cは同日、同僚に対し、4月3日の品質会議の資料作りがうまくいかないこと、家で土日も仕事をしなければならないこと、上司に相談しても助けてくれないことなどの悩みを打ち明け、同年4月2日、社宅の自室で縊死により自殺した。
Cの両親である原告A及び同Bは、Cは過重な業務により自殺に追い込まれ、その態様も、包丁やカッターで手首を切り、包丁で腹を刺したものの死にきれず、ロープで5回ほど首を巻き自分で絞めて死ぬという凄惨なものであったとして、C本人の慰謝料として3000万円、逸失利益5895万5076円、原告Aについては慰謝料500万円、葬儀費用200万円、弁護士費用520万円を、原告Bについては慰謝料500万円、弁護士500万円を請求した。 - 主文
- 1 被告は、原告Aに対し、2686万4432円並びにうち142万9794円に対する平成21年7月16日から支払済みまで及びうち2534万4638円に対する平成19年4月2日から支払済みまでそれぞれ年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告Bに対し、3680万7332円並びにうち142万9794円に対する平成21年7月16日から支払済みまで及びうち3537万7538円に対する平成19年4月2日から支払済みまでそれぞれ年5分の割合による金員を支払え。
3 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用はこれを2分し、その1を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。
5 この判決は、第1、2項に限り、仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 Cの業務の過重牲
(1)質的過重牲
誤品納入問題が、これに関する報告の準備も含め、Cにとって、本件自殺の直前まで相当の精神的な負担となっていたと推認される。またオイルフィルターに関する品質選別工程の中国移管問題についても、同社から移管が提案されたのが誤品納入問題でS社と折衝中であった平成18年12月であり、しかもS社上海のマネージャーが突然来社してのものであったこと、そして被告は同提案を拒絶したにもかかわらず、平成19年1月23日には、S社から中国移管を認めるか、選別費用を負担するかのいずれかを選択するよう要求され、更にその回答がされるまでオイルフィルターの出荷を停止されたこと、これ以降はCに代わりDが交渉することで、ようやくS社から出荷再開の約束を取り付けることができたことが認められる。このような一連の経過からすれば、Cにとってかなりの精神的負担を感じるものである上、最終的には上司であるDが交渉に出ざるを得なかったことからすれば、Cは自らが担当する部品に係る問題により製造ラインが止まるおそれがあるというプレッシャーに加え、上司からの叱責を受け、自ら必要以上に卑下していた同人が、上司の力を借りざるを得なかったことにつき、相当の負い目を感じたことは想像に難くない。
以上によれば、品質工程中国移管問題及び出荷停止問題についても、Cにとって精神的に相当な負担となっていたというべきである。加えて、Cは入社3年目であり、バイヤー業務はサプライヤーとの間でトラブル等が日々発生するため、経験が必要とされ、上司の適切なサポートなしにS社を担当するのは荷が重すぎるものであったところ、D、E、FがCに対し、適切にサポートをしていたことを窺わせる事情は認められない。かえって、Eはエンジン部門に慣れておらず、次期エンジンプロジェクトを抱え、C等部下に必ずしも目が行き届いていなかったこと、Fは英語力に難がある上、自分の仕事以外に手が回らず、S社の件は一切知らず、自分の仕事が忙しくてそれどころではない旨述べたこと、Cからアドバイスを求められても頭ごなしに怒鳴りつけるといったことを繰り返していたこと、これらの事実からすれば、Cは平成19年3月に至っても、未だ上司から適切なサポートを受けられていなかったと断定するほかない。そして、そもそもS社を担当する困難性に加え、バイヤーにとって3月は決算期で忙しいにもかかわらず、Cは4月3日開催予定であったS社との会議の準備に追われていた上に、4月11日ないし18日に実施予定であった新入社員教育における講師派遣(ファシリテーター業務)を引き受けることとなった事情も認められる。
このような点も併せ考えると、Cはバイヤーに就任して以降、問題が重畳的に発生し、平成19年3月中旬以降は、バイヤー業務とは直接関係のない業務まで並行してこなさなければならない状況に陥っていたのであり、それにもかかわらず、上司の適切なサポートを何ら受けていなかったことからすれば、Cが平成18年11月以降に担当した業務は、質的にみて明らかに過剰であったといわねばならない。
(2)量的過重牲
Cの時間外労働時間は、死亡1ヶ月前66時間55分、2ヶ月前50時間22分、3ヶ月前43時間12分、4ヶ月前33時間48分、5ヶ月前58時間49分、6ヶ月前29時間54分となっており、自宅においても相当量の業務をこなしていたと推認されることに加え、Cは平成19年1月以降、S社とのメール等のやりとりが頻繁になり、特に同年3月には、誤品納入問題、中国移管問題及び出荷停止問題が重畳的に発生し、会議の報告や準備等もあって多忙を極めていたと考えられる上、上司からは残業せず、家でやれと命令されていたことも併せ考えれば、Cの死亡の1ないし2ヶ月前の時間外労働時間は、優に80時間を超えていたと推認される。以上のとおり、Cの業務は、平成18年11月以降、質的に過重であり、遅くとも平成19年1月以降は量的にも過重であったというべきである。
2 業務と本件自殺との間の相当因果関係について
業務と精神疾患との間の相当因果関係が肯定されるためには、単に業務が他の原因と協働して精神疾患を発病若しくは増悪させた原因と認められるだけでは足りず、当該業務自体が、社会通念上、当該精神疾患を発病若しくは増悪させる一定以上の危険性を内在又は随伴していることが必要と解される。そして、精神障害の発症については、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が決まるという「ストレス−脆弱性」理論が合理的である。
労働者の自殺についての業務起因性が問題になる場合、通常は当該労働者が死の結果を認識し、許容したと考えられるが、少なくとも当該労働者が業務に起因する精神障害を発症した結果、正常な認識、行為選択能力が著しく阻害され、自殺を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺に至った場合には、当該労働者が死亡という結果を認識し、許容していたとしても、原則として当該自殺による死亡につき業務起因性を認めるのが相当である。
これを本件についてみるに、Cの業務は平成19年1月以降、質的にも量的にも過重であったところ、同人は同月6日ないし7日の家族旅行中もイライラした様子で、早く帰りたい旨発言をしていたこと、同年2月18日に原告Bと電話で話した際、元気がなかったことが認められる。このような事情からすれば、Cはこの頃から自己の業務につき相当の負担を感じていたと考えられる。またCは、同年2月終わり頃から声を掛けても直ぐに返事が返って来ないことがあったり、自分をダメな人間と発言していたこと、欠品による製造ラインの停止はバイヤーにとってかなりのプレッシャーであること、Cが退職を仄めかしていたことが認められる。このような点からすれば、Cのこの頃の状態は、うつ病の典型的な症状の現れということができるから、同人はこの頃に軽度から中等度にかけてのうつ病を発症していた旨推認される。また、Cは同年3月27日ないし28日にも、うつ病の症状に加え、活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少、集中力と注意力の減退を見て取ることができるのであって、Cのうつ病はこの頃には重篤化していたとみるのが相当である。そして、Cはその直後の4月2日に自殺したのであるから、本件自殺は、同人の業務に起因したものということができ、相当因果関係が認められるというべきである。
3 被告の安全配慮義務違反について
使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負担等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことのないよう注意する義務を負うと解するのが相当である。そして、上記注意義務は、労働者の心身の健康が損なわれるおそれに対するものであるところ、うつ病を発症し自殺に至るということは、まさに心身の健康が損なわれるおそれが具体化したものであり、また過重な業務によってうつ病を発症し自殺に至ることが通常あり得ることは周知の事実であることからすれば、過重な業務等に対する認識可能性があれば、この点の予見可能性を認めることができる。そうすると、使用者に安全配慮義務違反が認められるためには、具体的に特定の疾患の発症を予見し得たことまでは要求されず、「過重労働をすれば労働者の健康が悪化するおそれがある」という抽象的な危惧が予見されたならば、予見可能性は肯定されるのであって、具体的には、1)使用者又は上司が当該労働者の心身の健康を損なっている状態を認識していたか又は認識可能であったか、2)心身の健康を損なう原因となった労働実態について、使用者又は上司が認識していたか又は認識可能であれば、上記予見可能性が認められるというべきである。
これを本件についてみるに、CにS社を担当させたこと自体については、それが酷なものとまではいえなかったにしても、上司の適切なサポートがなければ1人でこなすのは無理であったところ、Cの業務は、特に平成19年1月以降、質的にも量的にも過重であったにもかかわらず、上司による適切なサポートがされなかったことは上記のとおりであり、Cは上司に対しS社を巡る案件につき相談し、多くの人間が動かなければならない非常に大きな問題と訴えていたことも併せ考えれば、被告又は上司は、Cの業務が同人の心身の健康を損なうほどに、質的・量的に過重なものであったことにつき認識可能であったというべきである。そして、Cの上司らは、1)Cが心身の健康を損なっている状態にあったこと、2)その原因となったCの質的・量的に過重な労働実態について認識し得、Cが心身の健康を損ない、あるいは悪化させ、最悪自殺に至らないよう、適切なフォローを容易にし得たにもかかわらずこれを怠り、Cを自殺に至らしめたというほかない。したがって、被告には安全配慮義務違反が認められるというべきである。
4 損害について
Cは、上司から何ら適切なサポートを受けられない中で、質的にも量的にも過重な業務に恒常的に従事させられ、S社を巡るトラブルについても、1人で抱え込まざるを得ない状況に陥った結果、うつ病を患ったものであり、本件自殺当時未だ25歳と若く、優秀な成績を修めており、将来を嘱望されるべきであったにもかかわらず自らの命を絶たざるを得なかったものであり、この無念さを慰謝するには2500万円が相当である。ところで原告らは被告から見舞金として2500万円の支払を受けているから、これを慰藉料に充当するのが相当である。逸失利益は、平成18年賃金センサスによる男性大卒平均年収676万7500円にライプニッツ係数17.423、生活費控除50%を乗じると、5895万5076円となる(これを原告らが折半して相続)。原告Aについては、固有の慰謝料250万円、葬儀費用88万7100円、弁護士費用250万円を、原告Bについては、固有の慰謝料250万円、弁護士費用340万円を認める。 - 適用法規・条文
- 民法709条
- 収録文献(出典)
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|