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三鷹労基署長(I社チーフ)自殺事件
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 三鷹労基署長(I社チーフ)自殺事件
- 事件番号
- 東京地裁 - 平成19年(行ウ)第796号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2011年03月02日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- T(昭和51年生)は、大学卒業後の平成11年4月に本件会社に入社し、平成12年10月にサブチーフ、平成14年7月に等級に昇格し、平成15年3月にP店に異動して鮮魚部チーフとなり、同年6月1日付けでQ店の鮮魚部チーフに転任した。本件会社は、平成15年当時鮮魚部門強化の営業戦略を打ち出し、Q店を含む6店舗の改装を計画・実施しており、Q店では同年10月1日に新装開店した。
P店及びQ店におけるTの時間外労働時間は、平成15年4月が76時間31分、5月が82時間33分、6月が94時間42分、7月が90時間45分、8月が71時間25分、9月が30時間03分であった。
Tは、Q店の新装開店日である同年10月1日午前4時に自宅を出発し、Q店において勤務した後、翌2日午前零時15分に帰宅し、原告に対し「やり終わらない、無理だ」と話し疲れ切った様子であった。Tは同日午前4時10分に自宅を出発し、Q店において勤務した後、午後7時30分頃、部長らに対し、突如辞めたい旨申し出、事情聴取に対して、目一杯である、接客ができないと繰り返し、部長らの度重なる説得に対し、一旦は「もう一度やってみます」と回答して午後11時30分頃に帰宅したものの、原告に対し、会社を辞めると言って来たこと、1ヶ月はやることになったことを伝えた。そして、原告は翌3日午前3時40分に起床し、原告に対しては退職の手続きを取って来ると告げて自宅を出発し、午前5時30分頃、路上に駐車した自家用車の運転席で、柳刃包丁を左胸に刺して自殺した。
Tの妻である原告は、Tの死亡は本件会社における過重な業務に起因したものであるとして、三鷹労働基準監督署長に対し労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の給付を請求したが、同署長は、これらをいずれも支給しない旨の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 三鷹労働基準監督署長が原告に対して平成16年10月7日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性に関する法的判断の枠組みについて
労働基準法及び労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の疾病について行われるところ、業務上疾病にかかった場合とは、労働者が業務に起因して疾病にかかった場合をいい、業務と疾病との間には、条件関係が存在するのみならず、相当因果関係があることが必要と解される。そして、労働者災害補償制度は、使用者が労働者を自己の支配下において労務を提供させるという労働関係の特質を考慮し、業務に内在する各種の危険が現実化して労働者が疾病にかかった場合には、使用者に無過失の補償責任を負担させるのが相当であるという危険責任の法理に基づくものであるから、業務と疾病との間の相当因果関係の有無は、その疾病が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。
また、今日の精神医学的・心理学的知見としては、環境由来のストレスと個体側の反応性・脆弱性との関係で精神的破綻が生じるか否かが決まり、ストレスが非常に強ければ、個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に個体側の脆弱性が大きければ、ストレスが小さくても破綻が生じるとするいわゆる「ストレス−脆弱性」理論が広く受け入れられている。そうすると、労災保険の危険責任の法理及び「ストレス−脆弱性」理論の趣旨に照らせば、業務の危険性の判断は、当該労働者と同種の平均的な労働者、すなわち、何らかの個体側の脆弱性を有しながらも、当該労働者と職種、職場における立場、経験等の点で同種の者であって、特段の勤務軽減まで必要とせずに通常業務を遂行することができる者を基準とすべきである。このような意味での平均的労働者にとって、当該労働者の置かれた具体的状況における心理的負荷が一般に精神障害を発病させ死亡に至らせる危険性を有しているとはいえ、特段の業務以外の心理的負荷及び個体側の要因のない場合には、業務と精神障害発病及び死亡との間に相当因果関係が認められると解するのが相当である。そして、判断指針(平成11年9月14日)・改正判断指針(平成21年4月6日)は、その作成経緯や内容に照らして不合理なものであるとはいえない。したがって、基本的には判断指針・改正判断指針を踏まえつつ、当該労働者に関する精神障害発病に至るまでの具体的事情を総合的に斟酌して、業務と精神障害発病との間の相当因果関係を判断するのが相当である。
2 Tの精神障害について
Tの死亡に至る経緯及び医学的見解等を総合すれば、Tは、遅くとも平成15年9月下旬頃にICD−10のF3に該当する「気分障害」又はうつ病(本件疾病)を発病したと認めるのが相当である。
3 業務による心理的負荷の強度について
P店におけるTの時間外労働時間は、平成15年3月16日から31日までの半月間で35時間19分、4月が76時間31分、5月が82時間33分と増加しつつあった上に、Q店に異動した後は、6月が94時間42分、7月が90時間45分と更に増加し、5月から7月までの間の1ヶ月当たりの時間外労働時間は80時間を超えている。そして、新装開店の改装工事が進むにつれて、Tの業務内容としては研修等が主なものとなったことから、8、9月の労働時間そのものは短くなっているが、当該研修はQ店の新規開店に向けての重要かつ実践的な内容のものであり、それ自体、精神的な緊張を伴うものであったと認められるし、Tは新任のチーフとして、上記研修のほかにも、新装開店後の売場展開図作成、特売計画作成等の業務に従事していたものであって、これら研修や業務等を通じて、新装開店が近づくにつれて精神的プレッシャーが高まっていったと考えるのが相当である。よって、単純に労働時間が短くなったことのみを捉えて、Tがその間、心身ともに休息して疲労を回復することができる状況にあったとは認め難い。
Q店の新装開店の直前・直後の9月28日から10月2日までの間には、連続した長時間労働があったことが認められ(休憩時間各1時間を除き、9月28日が午前7時30分から午後8時30分まで、9月29日が午前8時53分から午後7時39分まで、9月30日が午前7時51分から午後10時22分まで、10月1日が午前4時38分から午後11時29分まで、10月2日が午前4時37分から午後9時42分まで)、Tの当時の業務内容や精神状態に鑑みれば、事前に繁忙度が予測されたとしても、人的応援の規模に照らせば、短期間の過重労働によって、Tの疲労の蓄積の程度はより強まったと認めるのが相当である。
以上のとおり、本件においては、業務上の出来事が複数重なっていること、継続的な長時間労働によって疲労が蓄積しており、労働時間が一旦減少した期間においても、それ自体で緊張を強いられる新装開店に向けた研修への参加等が義務付けられており、心身ともに休息できる状況にあったとはいい難く、新装開店直前・直後には再び1日10時間を超える長時間労働が数日続いたこと、Q店の新装開店業務における周囲の支援状況も新任のチーフにとっては必ずしも充分であったとまでは言いきれないことからすれば、Tの業務による心理的負荷の程度は、少なくとも「相当程度過重」であったと評価するのが相当である。
以上の検討結果を踏まえると、Tの業務について、P店への異動後短期間でのQ店への異動と同時に、新任のチーフへの就任、新規開店準備業務の担当等といった出来事の重なり、チーフ就任に伴う業務の質的・量的な増加に加えて、自身の人事考課の重要な要素ともなる新装開店後の売上増を期待される立場に置かれたことに伴う強度の精神的プレッシャー、周囲の支援状況、長時間労働による疲労の蓄積等を総合的に検討すれば、Tの本件疾病発病前の業務の心理的負荷の総合評価は、「強」であるとするのが相当である。一方、Tの精神障害が発病する原因となるべき業務以外の心理的負荷要因も、精神障害の発症につながる個体側要因も存在しない。
4 業務起因性
以上のとおり、Tの本件疾病発病前の業務の心理的負荷の総合評価は「強」であり、その他精神障害の発病につながる業務以外の心理的負荷や固体側要因もないのであるから、判断指針・改正判断指針によっても、Tの本件疾病発病が同人の業務に起因するものであると認めることができる。そして、本件疾病に伴う衝動的な希死念慮の他に、Tが自殺を図るような要因・動機を認めるに足りる証拠もないから、Tの自殺についても、同人が従事した業務に内在する危険が現実化したものと評価するのが相当である。
したがって、Tの本件疾病の発病及びこれによる自殺は、Tが、その業務の中で、同種の平均的労働者にとって、一般的に精神障害を発症させる危険性を有する心理的負荷を受けたことに起因して生じたものと認めるのが相当であり、Tの業務と本件疾病発病及び自殺との間に相当因果関係の存在を認めることができる。 - 適用法規・条文
- 労災保険法16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例1027号58頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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