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Y高校教諭退職錯誤仮処分事件(パワハラ)

事件の分類
解雇
事件名
Y高校教諭退職錯誤仮処分事件(パワハラ)
事件番号
横浜地裁 - 平成7年(ヨ)第380号
当事者
債権者 個人1名
債務者 学校法人
業種
サービス業
判決・決定
決定
判決決定年月日
1995年11月08日
判決決定区分
一部認容・一部却下
事件の概要
 債務者は、Y高校及びY中学校を設置する学校法人であり、債権者は昭和60年4月に債務者に国語科教諭として採用され、平成元年4月高校一般コースの担当となった者であり、平成元年から山岳部の顧問、平成6年度は高校1年のクラス担任をしていた。

 Y高校の山岳部は神奈川高体連登山専門部に加盟しており、平成5年度には関東高体連が主催する登山大会が平成6年11月5ないし7日の日程で西丹沢を会場にして行われることが決まっていた。そして、神奈川高体連会長らは、大会実施時期が11月5日から7日までであること、その準備のため何度か実行委員会が開かれること、平成6年度は神奈川県が開催県であり、各校の協力が不可欠であることを説明し、債権者を実行委員に委嘱したいと依頼したところ、校長はこの委嘱を受諾した。

 一方、Y高校の文化祭は、2ないし3年に1回開催されており、平成6年4月の時点で同年11月5、6日に開催されることが決まっていた。文化祭当日の債権者の校務は、担任生徒の出欠の確認とクラス企画の監督・指導であったが、債権者は生徒に対し、予め登山大会参加のため文化祭に出られない旨説明し、納得を得ていた。そして債権者は、同年10月22日、校務主任に対し登山大会参加のため同年11月5、6日の出張願を提出したところ、文化祭と日程が重なることを理由に許可されず、校務主任及び校長から、11月5、6日は校務を優先して出勤するよう業務指示を受けた。債権者は、登山大会直前に役員を降りたら大会運営に支障を生じ、Y高校の信用問題にもなると考え、学年主任の了解を得て、校務主任と校長には連絡せずに同年11月5、6日に欠勤して登山大会に参加した。

 同年11月5日、校務主任は債権者と電話連絡をとり、このまま出勤しない場合は懲戒解雇の可能性もあることを伝え、直ちに出勤するよう説得したが、同月6日午後4時まで債権者は出勤せず、何ら連絡もなかったことから、同日の総務会において、債権者の行為は懲戒解雇事由に該当するとして、就業規則に基づき懲戒手続きを進めることが確認された。校務主任は同月予定の債権者の結婚式の媒酌人を引き受けていた関係から、結婚式を懲戒の身で迎えることのないよう、同月7日債権者に依願退職を強く勧めたところ、債権者は、疑問を感じながらも、このままでは懲戒解雇になると考え、翌8日、本件退職願を校長宛てに提出した。同日の総務会で債権者の退職日を同年12月31日とすることが決定され、債権者に対する懲戒処分は見合わせられることになったが、債権者はその後、校務主任に対し、平成7年3月末まで勤務したい旨要請し、同日まで勤務が継続された。平成7年2月23日、債権者は校務主任に対し新年度以降も勤務できるよう口添えを依頼したところ、校務主任がこれを断ったことから、債権者は同年3月15日校長宛ての内容証明郵便で退職する意思のないことを伝えたが、校長はこれを拒否し、終業式当日の同月20日、債権者に解職辞令を交付した。

 債権者は、本件退職願について、合意退職の申込みは心裡留保によるものであり、無効であることを主張した。また債権者は、登山大会への出張不許可は債務者側の恣意的な判断によるものであって、右業務命令自体が不合理であり、債権者がこれに従わなかったからといって業務指示命令違反があったとはいえないこと、債務者の違法な有給休暇制度とその運用がなければ、債権者は有給休暇を利用して登山大会に参加することができたこと、

以上のように文化祭の期間欠勤して登山大会に参加したことは懲戒事由にはなり得ないにもかかわらず、債権者は校務主任の言う通り依願退職願を提出しなければ懲戒解雇になると誤信し、それを唯一の動機として本件退職願を提出したものであるから、その意思表示には要素の錯誤があり本件合意退職は無効であるとして、地位保全の仮処分を申し立てた。
主文
1 債務者は、債権者に対し、平成7年4月1日から本案の第1審判決言渡の日まで毎月21日限り、1ヶ月金38万7300円の割合による金員を仮に支払え。

2 債権者のその余の申立を却下する。

3 申立費用は債務者の負担とする。
判決要旨
1 心裡留保による無効の主張について

 債権者は、校務主任及び校長の業務指示命令に従わずに欠勤し、そのため校務主任から懲戒解雇になるから退職届を提出した方がよい旨説諭され、懲戒解雇を免れるために本件退職願を提出したものであり、本件退職願提出による合意退職申込みの意思表示は債権者の真意に出たものであると認められる。

2 錯誤による無効の主張について

 債権者は、債務者の業務指示命令に従わないで横高祭の期間欠勤して登山大会に参加したことが懲戒解雇事由になり得ないのに、校務主任の言うとおり懲戒解雇になると思って本件退職願を提出したのであるから、その意思表示の動機に錯誤がある旨主張する。本件では、債権者の行為が懲戒解雇事由に該当するのかどうかということが、債権者の合意退職の申込みをする動機に重大な影響を及ぼすものであるから、本件において債権者に懲戒解雇事由があって、債務者は債権者を懲戒解雇することが可能であったか否かを判断する。

 債務者の山岳部も神奈川高体連に加盟し、債務者も登山大会の内容や日程等を把握した上で6月の時点で債権者が登山大会に参加することを了承し、同年10月19日にも債権者が登山大会の最終打合せに出張することを許可し、それまでの間、債権者に登山大会の参加を認めないような注意、指示をするなどのことは全くしていなかった。しかるに債務者は、代表理事が登山大会の役員に名を連ね、登山大会が成功するよう協力すべき立場にあるのに、登山大会2週間前になって、債権者に対し横高祭への出勤を命じて、登山大会参加のための出張を許可しなかったものである。債権者は登山大会参加のための出張が認められないと指示された後、直ちに善後策を協議するなどしていないが、債権者が直ちに役員を辞退していたとしても何らかの形で登山大会に支障が生じたことは推認に難くない。

 債務者は、横高祭が重要な行事と主張するが、もともと生徒が主体となって自主的に準備し、参加するのが普通であって、担任の債権者が横高祭当日に生徒と一緒にクラス企画に参加し、一々監督・指導に当たらなければできないものでもなく、教員の第一に重要な授業に比して、横高祭におけるクラス担任としての校務は、その重要性において劣るのは否めず、債務者も債権者の役員委嘱を了承し、サブリーダーという役割を負っている債権者が登山大会を犠牲にしてまで出勤して携わらなければならない程重要な校務であったかは甚だ疑問である。債務者において、本件の債権者のように生徒を引率しないで顧問だけの出張が認められないというのであれば、横高祭の日程が確定して登山大会と日程が重なることが明らかになった4月の時点、役員参加の申込みをした6月の時点、遅くとも債権者の担任クラスが横高祭への参加を決めた9月頃までには、大会役員の委嘱を解くよう申し入れたり、登山大会への参加は認められないと明確に指示すべきであったのに、何らこれらの措置をとらないまま登山大会開催2週間前まで経過したことからも、債務者のとった業務指示命令の措置が適切を欠いたと非難されてもやむを得ないといえる。

 そもそも、債務者の就業規則では、債務者が一方的に年休の時季を指定しており、労働基準法に違反する内容であったところ、横浜高校では、有給休暇について、まず欠勤届を出し、学校側の判断で有給休暇に振り替えるという扱いをしており、職員は自由に年休を取得できないような状態であったこと、平成7年4月横浜中高等学校教職員組合の申入れにより労働基準監督署が行政指導に入り、有給休暇の取得のあり方を改めるよう指導され、同年5月、一方的な時季指定文言は削除され、単に「年次有給休暇は法の定める手続きに従って受けることができる。」と就業規則が改正されていたことが認められる。したがって、債権者は、右就業規則の下であれば、横高祭の期間であっても容易に有給休暇を取得して登山大会に参加することができたのであり、そうであれば、債務者の業務指示命令も全く意味がなく、債務者は労働基準法に則らない有給休暇の制限の下に債権者に対し横高祭に出勤せよとの業務指示命令を出したことになる。そして、横高祭期間の債権者の校務は担任生徒の出欠確認とクラス企画の監督、生徒指導であって、右校務のために債権者が不可欠とはいえず、債権者以外の職員が代わりに行うことができ、代替要員の確保も容易であって、現に債権者は学年主任の教員に代わりを頼んで登山大会に参加しているのであって、債権者が休んだことにより、横高祭期間の債務者の事業の正常な運営を妨げるような状況にあったとは到底認められず、したがって、債務者が有給休暇の時季変更権を行使し得るような状況にはなかったものである。

 債務者は、出張をもって行うべき業務に有給休暇を取得して個人の資格で参加することはあり得ない旨主張するが、登山大会参加のための出張が許可されなかったからといって、直ちに登山大会参加の合理性がなくなるわけではなく、有給休暇制度の問題も債務者の業務指示命令の合理性、適切さに関連して来るのであって、債務者の主張は採用できない。

 以上、債権者が登山大会実行委員に委嘱されてその準備を進めていった経緯、横高祭における債権者の校務等を勘案すると、労働基準法に則らない有給休暇制度の下になされた、登山大会参加の出張を許可しないで横高祭に出勤して生徒の指導をするようにとの債権者の業務指示命令は、不合理で適切を欠き、それ故、債権者がこれに従わないで欠勤して登山大会に参加したことが懲戒解雇事由である業務指示命令違反、越権専断行為とみなされるものではなく、仮に形式的にこれが懲戒解雇事由に該当するとしても、これを理由とする懲戒解雇は解雇権の濫用として無効になるということができ、結局本件においては、債務者が債権者を懲戒解雇する可能性はなかったものである。したがって、債権者には懲戒解雇事由はなく、懲戒解雇の可能性がなかったのに、債権者は校務主任の説諭により懲戒解雇になると誤信して本件退職願を提出したのであって、その退職の申込みには動機の錯誤があるというべきで、これが債務者側に表示されていたことは明らかであるから、要素の錯誤となり、本件合意退職は無効である。
適用法規・条文
民法93条、95条、労働基準法39条
収録文献(出典)
労働判例701号70頁
その他特記事項
・キーワード雇止め・更新拒絶
・法律民法、労働基準法