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S社勤務成績不良社員退職事件(パワハラ)

事件の分類
解雇
事件名
S社勤務成績不良社員退職事件(パワハラ)
事件番号
横浜地裁川崎支部 − 平成14年(ワ)第851号
当事者
原告 個人1名
被告 式会社
業種
製造業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2004年05月28日
判決決定区分
一部認容・一部脚下(控訴)
事件の概要
被告は、電線電機、光ファイバーケーブル等の製造販売、電気工事、電気通信工事等を業とする株式会社であり、原告は昭和38年4月に被告に雇用され、幾つかの工場等へ配転、出向をした後、平成3年1月に被告の関連会社であるE社に出向した。S社の代表者Bは被告に人材派遣を要請し、原告は平成12年4月1日、S社に出向した。

平成13年2月頃、原告が中身の確認をせずに工事記録の入った封筒を廃棄する事件があり、Bは被告の人事グループ長Aに原告の出向解除を申し入れたところ、Aは被告には原告を受け入れる職場はないとして、B及び原告の上司Cに再度の指導を依頼した。同年11月頃、BからAに対し、再度出向解除の申入れがあり、Aは一緒に指導して欲しいと申し入れたが、自ら原告に改善を指導することはしなかった。同月20日、技術部のDが問合わせを受けた際設計図面等が見当たらなかったことから、原告に対し設計図面等の管理について注意をしたところ、口論となり、Dが「お前なんか辞めてしまえ」と言ったところ、原告は「中小企業の人間にとやかく言われる筋合いはない」と反駁するなどした。Bはこの口論の内容を理由に原告の出向を即時解除するよう申し入れ、原告が反省の態度を示さなかったことから、被告は原告の出向を解除することとした。

Aは、被告内の各部署に原告の受入を打診したがいずれも拒否されたことから、平成13年12月10日、原告のS社出向を解除し、廃電線の解体を主たる業務とするリサイクルへの出向を指示した。原告は、受け入れる職場がないとのAの指摘に強い衝撃を受けたものの、リサイクルの出向を承諾した。

リサイクルの代表者Fは、面接の際ポケットに手を入れて説明を聞く原告の態度を理由に原告を採用できない旨連絡したが、Aの要請で再度面接を行うことになり、原告はAの注意に対し謝罪した。再度の面接の際、原告はFに対し面接の態度について謝罪し、Fから作業着、安全靴持参で出頭するよう指示を受け、採用を期待して事務所に出頭したところ、採用するとは言っていないと告知された。

同月25日、AがFに原告の状況を問い合わせたところ、Fは原告が反省しているようには見えないとして、翌26日、原告の受入を最終的に拒否した。同日Aは原告に対し、原告の職場はもはやなくなったこと、原告には退職しか選択肢がないこと、自ら退職するのであれば規定の退職金に3ヶ月分の給与を加算すること、自ら退職しないのであれば解雇の手続きをとることになることを告げ、原告は組合に相談に行ったが評判が悪いと言われ、解雇を避けるには退職届を出すしかないと考えるようになり、同月28日、Aに対し平成14年1月8日付けの退職手続申請書を提出し、同年2月1日、被告から退職金1020万円余の振込みを受けた。しかしながら、原告は、本件退職合意の意思表示をした際、自己退職の意思表示をしなければ解雇されると錯誤し、この錯誤は意思表示の要素の錯誤に当たるから本件退職合意の意思表示は無効であると主張し、また、原告には退職事由が存在しないことを人事担当であるAは知っていたからAの言動は欺罔行為に当たり、本件退職合意の意思表示はこの欺罔行為に基づくもので瑕疵があるからこれを取り消すとして、従業員としての地位の確認を請求した。
主文
1 原告と被告間で、原告が被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 原告の賃金支払を求める請求中、本判決確定の日の翌日以降の賃金請求に係る訴えを却下する。
3 被告は原告に対し、平成13年12月28日以降、本判決確定の日まで、毎月20日限り46万6726円宛を支払え。
4 訟費用は被告の負担とする。
5 この判決の第3項は仮に執行することができる。
判決要旨
1 原告が本件退職合意の意思表示をするに当たり、動機に錯誤があったか

勤務成績不良とは職務不適格の一態様と見るべきで、職務不適格とは当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に起因してその職務の円滑な遂行に支障があり、又は支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合をいい、しかもそれが解雇事由とされる以上、慎重な配慮を要するというべきで、その判断に当たっては、客観的合理的な基準によるべきこと、解雇理由該当事実が解雇をもって臨まなければならない程、質的又は量的に重大な事実かどうか、使用者側が労働者に改善矯正を促し、努力反省の機会を与えたのに改善がなされなかったかどうか、また指導による改善可能性が見込めないかどうか、職場の規律維持に重大な支障を与えたかどうか、使用者の側に落ち度がなかったかどうかなどの諸点を総合考慮して決すべきである。

工事記録の破棄の点は、原告の軽率な判断によるものとの非難は可能であるけれども、不注意によるもので、工事記録が破棄されたことで業務遂行に重大な支障を与えたとまで認めるに足る証拠もないし、解雇をもって臨まなければならない程度の事柄であるとまでは評価し難い。「中小企業の人間にとやかく言われる筋合いはない」との暴言についても、確かに中小企業で働いている、かつ職場の同僚に対する心ない暴言であることは否定できないけれども、前記暴言に至る経過に照らして、原告のみが一方的に責められるべき事柄ではないし、前記暴言によって原告の出向解除がなされたのはやむを得ない措置であったとはいい得ても、これが被告から原告を解雇すべき程度に重大な事実とまでは評価し得ない。また、その他の原告の勤務態度についても、平成13年5月頃Cから原告に指導がなされた後、多少改善傾向が見られたことも窺えるのであり、原告の勤務態度につき改善の可能性が見込めなかったとまでは評価し得ないというべきである。

面接の日時を間違えたことは単に不注意によるものであるし、面接の際の不適切な態度もいささか原告の年齢に照らして軽率な態度であったとは言い得るけれども、いずれも解雇をもって臨まなければならに程度に重大な事実とまでは評価し得ないし、原告が従事することが予定されている廃電線の解体という現場作業の内容に鑑みても、前記原告の態度が業務の遂行に重大な支障を与える可能性があるとまで評価するには躊躇を覚えざるを得ない。更に、原告にはその言動にいささか軽率な点があったであろうことは推認されるけれども、他方、被告から表彰を受け、S社に出向した際も現場代理人等として工事に従事し、T電力から表彰を受けるなど、電気技術者としてはそれなりの業務を行っていたことも窺える。また、原告が身勝手な言動、非常識な行動を繰り返していたのであれば、被告としては、折りに触れて問題行動を指摘し、原告に改善努力を促すなどの指導をこまめに繰り返すべきであったのに、原告が勤務態度につき改善等の指導を受けたことを認め得るのは、平成13年のCによる指導、原告がS社の出向解除を受けた後のAによる指導程度であって、被告は原告の勤務態度が適切でないことを認識しながら、原告に対して適切な指導、改善命令を下すことなく、長期間にわたってこれを看過してきたとも言えるのであって、勤務態度不良を理由に原告を解雇するとするには、被告の側にも落ち度がなかったとは言えない。以上によれば、原告には勤務態度不良を理由とする解雇事由が存在するとはいえないというべきである。

被告は原告に就業規則94条5項(やむを得ぬ業務上の都合)の解雇事由が存在すると主張するが、前記条項は会社の事業規模の縮小等の必要性が生じやむを得ず従業員を整理解雇する場合を想定した条項と解するのが相当であるところ、整理解雇を正当とする要件についての立証がされたとまではいえないから同条項を理由とする解雇事由は存在するとはいえない。よって、本件解雇の意思表示がなされた際、原告には客観的に解雇事由が存在していたとはいえず、本件解雇の意思表示は無効である。

原告が本件退職合意承諾の意思表示をした時点で、原告には解雇事由は存在せず、したがって原告が被告から解雇処分を受けるべき理由がなかったのに、原告はAの本件退職勧奨等により、被告が原告を解雇処分に及ぶことが確実であり、これを避けるためには自己都合退職をする以外に方法がなく、退職願を提出しなければ解雇処分にされると誤信した結果、本件退職合意承諾の意思表示をしたと認めるのが相当であるから、同意思表示にはその動機に錯誤があったというべきである。また、Aがした本件退職勧奨等は、結局、本件解約申入れを原告が承諾しなければ原告を解雇処分とするとの意思表示であり、A自身が原告に自己都合による退職をするか解雇処分を受けることとするか、どちらを選択するかは原告自身で決めよと申し入れていることに照らして、原告がした本件退職合意承諾の意思表示の動機すなわち解雇処分を受けることを避けるとの動機は黙示のうちに表示されていたと認めるのが相当である。更に原告は、解雇事由が存在しないことを知っていれば、本件退職合意の意思表示をしなかったであろうし、この理は一般人が原告の立場に立った場合も同様と認められるから、原告の本件退職合意の意思表示には法律行為の要素に錯誤があったことになる。以上によれば、原告のした本件退職合意承諾の意思表示は法律行為の要素に錯誤があったから、本件退職合意は無効である。

2 動機に錯誤があったとしても、錯誤に陥るについて原告に重大な過失があったか

原告が陥った錯誤は、解雇処分を受けるべき理由がないのに、被告において原告を解雇処分に及ぶことが確実で、これを避けるためには自己都合退職以外に方法がなく、退職願を提出しなければ解雇処分が有効になされるという自己の法的地位に関する誤信であって、原告が労働組合活動に従事するなどして労働者の法的地位に関するある程度の知識、経験を持ち合わせていたことを窺わせる証拠もない。また、Aから本件退職勧奨を受ける前後にした労働組合への相談の結果も、一方では被告は労働者を簡単に解雇することはできないというもので、解雇処分になっても労働組合からの援助が期待できるかのような回答であるのに対し、他方では原告の評判は結構悪いとのことで、評判が悪ければ被告は労働者を解雇することが可能であるかあるいは解雇処分となっても労働組合から援助は期待できないかのような内容であって、前後相矛盾するような回答ないしアドバイスであったというべきである。以上、原告が陥った錯誤の性質、原告の知識、経験、労働組合から受けた前後相矛盾する回答内容などを総合すれば、原告が錯誤に陥ったことにつき、少なくとも重大な過失があったとまでは評価できない。
適用法規・条文
労働契約法15条、16条、民法709条、労働基準法37条
収録文献(出典)
労働判例878号40頁
その他特記事項