判例データベース
地公災基金愛知県支部長(市役所職員)自殺事件(パワハラ)
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 地公災基金愛知県支部長(市役所職員)自殺事件(パワハラ)
- 事件番号
- 名古屋地裁 − 平成19年(行ウ)第31号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 地方公務員災害補償基金 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2008年11月27日
- 判決決定区分
- 棄却(控訴)
- 事件の概要
- T(昭和21年生)は、昭和47年4月にA市に採用され、土木、税務、教育委員会等を経て、平成14年4月、初めて福祉系の部署となる健康福祉部児童課長となった。当時の児童課は、少子化対策、子育て支援、児童虐待防止等の課題を多数抱えるとともに、関連する法令の制定・改正等が頻繁に行われ、他課に比べて格段に仕事の種類が多く、仕事の難易度も高かった。
Tの上司である健康福祉部長はTと同期生で、同期のトップで部長に昇進し、部内の仕事の細部にまで習熟し、仕事熱心で上司からの信頼が厚かったが、その一方、部下に対しても高い水準の仕事を求め、「馬鹿者」、「お前らは給料が多すぎる」などと感情的に部下を叱りつけ、部下を指導する場合でも、部下の個性や能力に配慮せず、感情的・高圧的な叱り方をすることがしばしばあり、反論をした女性を泣かせたこともあった。
A市では、平成14年度、総合的な保育システム(本件保育システム)が立てられていたが、この計画に遅れが生じており、Tは早急に対応を迫られることとなった。またA市では、同年7月から育児の援助を行うファミリーサポートセンターの開始を予定していたが、その準備も遅れており、Tや課長補佐が部長に説明に行った際、部長は課長補佐らに対し厳しい質問を浴びせ、答えられないと大声で激しく非難した。そのため、Tは同センターの援助活動が7月1日に開始できるのか、非常に不安に感じていた。更に、JC(青年会議所)では、同年5月26日に予定されていた「おいでん祭」において、保育園に対し紫外線防止シートに関するアンケートを実施すべくA市に協力依頼していたが、児童課はその趣旨を良く理解せずに協力を見合わせていたところ、同月23日にJC幹部2名がA市役所を訪れ、応対したTと補佐に対して苦情を申し入れ、A市が協力しないという事実を新聞に公表するなどと強い調子で抗議した。
Tは同年4月上旬頃、以前のTならば直ぐに気付くような明らかな間違いをするようになったほか、妻に対して仕事がわからない、辞めてもいいかなどと言うようになった。Tは4月後半になっても不眠と食欲不振が続き、同年5月27日午前4時頃、家族に対する感謝や励ましなどを内容とする遺書を遺して、自宅居間で鴨居にロープを掛けて縊死した。Tの自殺前約6ヶ月間における時間外労働は、本件異動前の平成13年11月から平成14年1月にかけては0であり、同年2月が18時間、3月が24時間45分、4月が32時間、5月が34時間であった。
Tの妻である原告は、Tの死亡は公務に起因するものであるとして、被告に対し地公災法に基づき公務災害認定の請求をしたが、被告はこれを公務外災害と認定した(本件処分)ことから、原告は本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 公務災害の判断基準
地方公務員災害補償法に基づく遺族補償は、職員の公務上の死亡に対して行われるが、公務上の死亡といえるためには、公務と死亡との間に相当因果関係のあることが必要である。そして、同法による補償制度が使用者等に過失がなくても公務に内在する危険が現実化した場合に職員に生じた損害を一定の範囲で填補させる危険責任の法理に基づくものであること、また、精神障害、特にうつ病の成因については、几帳面で真面目な性格等に代表される執着気質、メランコリー親和型といわれるうつ病の病前性格と、公務上及び公務外のうつ病の発症要因になりやすい出来事との間で精神的破綻が生じるかどうか決まると解するのが相当であることからすれば、相当因果関係があるというためには、これらの要因を総合考慮した上で、公務による心理的負荷が、社会通念上、精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合に、当該災害の発生が公務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したことによるものとして、これを肯定できると解すべきである。そして、その判断は、平均的労働者ないしは当該職員と同種の公務に従事し遂行することが許容できる程度の心身の健康状態を有する職員を基準として、勤務時間、職務の内容・質及び責任の程度等が過重であるために当該精神障害を発症させられる程度に強度の心理的負荷を受けたと認められるかを判断し、これが認められる場合に、次に、公務外の心理的負荷や固体側の要因を判断し、これらが存在し、公務よりもこれらが発症の原因であると認められる場合でない限りは相当因果関係の存在を肯定するという方法によるのが相当である。
2 Tの公務の過重性について
Tは、うつ病発症の約1ヶ月前である4月1日に未経験で懸案事項の多い健康福祉部児童課に配属されたが、A市役所職員として約30年にわたり経験を積み、この間次々に未経験の部署への異動を繰り返してきたTと経験等が類似し、同種の公務に従事することが許容できるような市役所職員を前提とすると、その後それまで縁のなかった懸案事項の多い部署に異動することも特に過重な職務であるとはいい難い。また、A市役所のような比較的小規模な組織で課長職を歴任する以上、未経験の部署に異動することは通常あり得ることである。そうすると、本件異動は、Tのような経歴の市役所職員にとっては、直ちに過重な精神的負荷を生じさせるに足りるものとはいえない。また、本件報告書の作成についても、そのほとんどを補佐以下の職員が行ったものであり、「職員(保育士)の格付け」の報告書や総括表の作成は勤務時間内で、Tは課題全般につき課長の職務上必要な範囲では把握していたと認められ、本件ヒアリングも順調に行われ、部長もTの仕事振りには満足していた。したがって、これらにより、特段の精神的負荷が生じるとは認められない。
Tは、本件保育システムの完成遅れについて着任直後に突然説明を受け、それは軽度ではない心理的負荷を生じさせるに足りるものというべきである。しかし、Tはその翌々日には完成の目処を立てたのであり、Tが迅速適切に対処したため一応の解決を見たということができる。その後も予定通り進行するか不安はあったにしても、結果として問題は生じず、実務担当者からうまくいきそうだとの報告を喜んでおり、このような経過からすると、その心理的負荷は短期間に止まり、その後も同様な心理的負荷が続いたとは認め難い。
ファミリーサポートセンターの開設については、予定していた会員募集を延期せざるを得ず、その後も1ヶ月以上決済が下りないことが続いたことから、課の責任者としては7月の開設に間に合うのかという懸念を持ったものと考えられる。しかし、担当者の補佐が起案した要綱等に部長が決済を与えない以上、Tとしては何ともしようのない事柄であるし、予定していた会員募集を延期せざるを得なかったのは、Tの着任以前に補佐が部長の了承を取り付けておくべきであったのに、これが遅れていたことが原因であり、Tには直接責任のないことでもある。そうすると、これによる精神的負荷がそれほど重いものであるということはできない。
前記の事象が連続して、又は重なり合うようにして生じたことを考慮しても、Tの時間外勤務時間が月35時間に足りないことを考え合わせると、Tが、量的にはもちろん、質的にも過重な業務を行ったとは認め難い。また、児童課で勤務を開始した4月1日からうつ病を発症した時期の終期である5月6日までに合計12日間の休日があったことからも、通常であれば疲労状態から回復することができたというべきである。
3 部長のパワーハラスメントによる心理的負荷について
部長は、部下に対して細かく厳しい指導をする人物であり、部下からは指導が部下に対する配慮に欠け、部下の意欲をなくさせるような指導であると評価されていたことが認められる。しかし、他方、部長の指導が内容的に不当なものであったと認めるに足りる証拠はない。また、部長が、部下を、仕事の内容や進め方から離れて人格的非難に及ぶような叱責をしたと認めるに足りる証拠もない。部長がTを直接名指しして厳しい指導や叱責をしたとの事実は認められない。そうすると、部長の指導は直ちに不当なものとはいえず、またTに対して厳しい指導が行われたという具体的な事実も認められないから、Tに対するパワーハラスメントがあったとまでは認められない。更に、児童課と部長の席はパーテーションで仕切られており、また部長からの指示は一般には次長を通じて行われていたことからすると、Tは日常的に部長と接していたわけではない。いわゆるうるさ型で厳しい上司の下で働くことにより、精神的な緊張を強いられる場面があったとはいえても、通常は精神障害発症の原因となるような重い精神的負荷が生じているとは認め難い。Tがこのような厳しい指導に慣れていなかったとしても同様である。
4 JC幹部への対応について
Tのうつ病発症後におけるJC幹部への対応は、同席した補佐が脅迫といえるようなものではなかったと感じ、その場で要求を呑むという方向で解決し、その後問題が生じたという事情はないことからすれば、以前にクレーム係をしていたTの経歴からして、重い精神的負荷が生じるようなものとはいえない。またTは重症うつ病エピソードの症状を示していたことからしても、その自然的経過を超えて悪化させたことにより本件自殺に至ったとは認めがたいから、その間に相当因果関係が存するとはいえない。
5 検討
以上のとおりであるから、Tと同種の公務に従事し遂行することが許容できる程度の心身の健康状態を有する職員を基準として、勤務時間、職務の内容・質及び責任の程度等が過重であるために当該精神障害を発症させられる程度に強度の心理的負荷を受けたとは認められず、他方、個体側の要因により大きな発症の原因があることが窺えるから、Tの公務とうつ病発症等との間に相当因果関係が存在するとは認められない。 - 適用法規・条文
- 地方公務員災害補償法31条、42条
- 収録文献(出典)
- 労働判例1013号117頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
名古屋地裁−平成19年(行ウ)第31号 | 一部認容、一部棄却 | 2008年11月27日 |
名古屋高裁 − 平成20年(行コ)第56号 | 原判決破棄(控訴認容・上告) | 2010年05月21日 |