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中央労基署長(就職情報誌会社)編集者くも膜下出血死控訴事件

事件の分類
過労死・疾病
事件名
中央労基署長(就職情報誌会社)編集者くも膜下出血死控訴事件
事件番号
東京高裁 − 平成21年(行コ)第168号
当事者
控訴人 国
被控訴人 個人3名A、B、D
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2010年10月13日
判決決定区分
原判決破棄(控訴認容)
事件の概要
甲(昭和42年生)は、平成4年4月に就職情報誌の発行等を業とするR社に入社し、求人情報誌の編集を経て、平成8年5月8日から、インターネット上の就職情報サイトであるデジタル媒体の企画編集制作を担当するようになった。

甲は、平成8年8月に夏季休暇を取得して帰省したが、頭痛や吐き気を訴え、帰京した後もこれらの症状を訴えていた。そして同月25日、甲は午前10時頃自宅で食事を摂った後、めまい、吐き気の症状が現れたため、病院に搬送されて入院したが、同月29日午前2時頃、くも膜下出血により死亡した。甲の発症前6ヶ月間の各月における時間外労働時間は、発症前1ヶ月目が39時間22分、2ヶ月目は67時間32分、3ヶ月目が83時間44分、4ヶ月目が25時間30分、5ヶ月目は71時間20分、6ヶ月目は50時間30分であった。甲は、健康診断の結果、血圧及び脂質について、C(要生活注意)、D(要再検査)の診断を受けることがあり、血圧については正常域又はこれを僅かに超えるものであり、脂質については総コレステロール値、中性脂肪値は各基準内又はこれを僅かに超えるにすぎなかった。また、甲は多発性嚢胞腎の診断を受けたが、ごく軽度であるとして特段の治療はなされなかった。

甲の両親である被控訴人(第1審原告)らは、甲の死亡は業務に起因するものであるとして、労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、同署長がこれらを支給しない旨の処分(本件処分)をしたことから、被控訴人らは本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。

第1審では、甲のくも膜下出血について業務起因性を肯定し、本件処分を取り消したことから、控訴人(第1審被告)は、これを不服として控訴に及んだ。なお、第1審原告Cは平成20年12月19日に死亡したことから、被控訴人Dが相続により同人の権利義務を承継した。
主文
原判決を取り消す。
被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は、第1、第2審とも、被控訴人らの負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の判断基準

労災保険法上の保険給付は、労働者の業務上の疾病等について行われるところ、当該労働者の疾病等を業務上のものというためには、当該労働者が当該業務に従事しなければ当該結果が発生しなかったという条件関係が認められるだけでは足りず、当該業務と当該疾病等の間に法的にみて労災補償を認めることを相当とする関係、すなわち相当因果関係が存在することを要する。すなわち、労働者が従属的労働契約に基づいて使用者の支配管理下にあることから、労務を提供する過程において、業務に内在する危険が現実化して疾病等が引き起こされた場合には、使用者は、当該疾病等の発症について過失がなくても、その危険を負担し、労働者の損失補填に当たるべきであるとする危険責任の考え方に基づくものであることに照らせば、当該疾病等が業務上のものといえるためには、当該業務と当該疾病等との間に相当因果関係が必要となる。そして、相当因果関係があるというためには、1)当該業務に危険が内在していると認められること(危険性の要件)、2)当該疾病が、当該業務に内在する危険の現実化として発症したと認められること(現実化の要件)を要するものというべきである。

また、脳・心臓疾患は、種々の要因によって長い年月の間に徐々に進行し、増悪して発症に至るのがほとんどであり、業務に特有の疾病ではないことからすれば、複数の原因が競合している場合において、当該業務が単に疾病の誘因に留まるときには相当因果関係を認めることはできない。脳・心臓疾患が、業務に内在する危険の現実化として発症したと認められるためには、1)当該労働者と同程度の年齢・経験等を有し、基礎疾患を有していても通常の業務を支障なく遂行することができる程度の健康状態にある者(平均的労働者)を基準として、業務による負荷が、医学的経験則に照らし、脳・心臓疾患の発症の基礎となる血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ得ることが客観的に認められる負荷といえること、2)当該発症に対して、業務による危険性(業務の過重性)が、その他の業務外の要因(私的リスクファクター等)に比して相対的に有力な原因になっているという関係が認められることを要するものというべきである。そして、この業務起因性の立証責任は労働者側にあるから、被控訴人らの側において、これらの要件を立証すべきである。新認定基準は、行政機関が迅速に統一的・画一的処理を行うための行政機関内部の準則という性質を有するものにすぎないから、裁判所を拘束するものではないが、最新の医学的知見と業務起因性に関する見解に基づき評価要因を検討し、策定されたものであり、判断基準としての合理性を有するものであるから、これに従うのが相当である。

被控訴人らは、業務の過重性については、当該労働者を基準として判断すべきであり、仮に当該労働者を基準としない場合には、労務の提供が期待されている者の中で最も危険に対する抵抗力の弱い者を基準として業務の過重性の有無及び程度を判断すべき旨主張するが、業務の過重性は、日常業務を支障なく遂行できる平均的な労働者を基準にして客観的に判断されるべきであるから、被控訴人らの上記主張は採用できない。

2 甲の業務の過重性について

(1)業務の量的過重性

発症前6ヶ月のうち、平成8年4月1日以降についてみると、甲の1日当たりの平均在社時間は、11時間から13時間の間にあり、相当に長時間であったことが認められる。しかしながら、編集業務は、一般的に、在社時間中常に事務処理に専念するというものではなく、高度の創造性を発揮することが求められるものであるから、在社時間から実労働時間を推量することが難しい業務である。このことも一概にいえることではないが、甲の場合は、在社時間中、友人等と雑談や夕食のために外出したり、公私の明確でない長電話をしたりすることがあり、公私の区別が明確でない仕事ぶりであったこと、甲は夕方にならなければ仕事の能率が上がらない仕事の仕方をする傾向にあったことなどから、甲の在社時間が長時間であることだけを捉えてその業務が過重であったと認めることはできない。

また、甲の時間外労働時間についてみると、新認定基準において、業務と発症との関連性が強いと評価される発症前1ヶ月に概ね100時間又は発症前2ヶ月ないし6ヶ月間にわたって1ヶ月当たり概ね80時間の時間外労働時間数を下回っているが、業務と発症との関連性が徐々に強まると評価されている概ね1ヶ月当たり45時間を上回っている月も存在する。他方、甲は、ほとんどの土曜日と日曜日は休みを取り、平成8年のゴールデンウィーク期間中も9日間の休みを取り、発症直前にも10日間の夏季休暇を取得しており、疲労回復を図るための休日は確保されていたと認められる。

被控訴人らは、R社には実労働時間を過少に申告する実態があったと主張し、J及びKはタイムカードに印字されている月間上限労働時間を超えないように意識して記載していた旨供述するが、実労働時間を過少に申告するかどうかは、それぞれ個人の考え方や職場によるのであって、JやKの供述があるからといって、R社の全社員間に、実労働時間を過少に申告する風潮や実態があったことにはならない。被控訴人らは、実労働時間の算定に当たって、休憩時間を1時間とすべきであると主張するが、編集業務の性質と甲の勤務状況に照らせば、実労働時間をどのように推量してみたところで、正確性を欠いたものとなり、実労働時間は基本的にはタイムカードの記載と甲の自己申告に基づいて把握するほかないから、上記主張は採用できない。甲は平成8年2月及び3月の編集課在籍中は裁量労働の適用を受け、タイムカードによる勤務時間管理はされていなかったため、甲の在社時間、実労働時間は不明というほかないが、昼頃に出勤し、深夜近くに退社する勤務を維持し、仕事の仕方も同様であったことに照らし、平成8年4月以降とほぼ同様であったと推認することができ、そうすると、発症前6ヶ月目の時間外労働時間数は50時間前後と推認するのが相当である。

(2)業務の質的過重性

被控訴人らは、編集業務の特徴からして、それ自体が相当に過重であった旨主張するが、その主張するところは全ての編集者に共通する通常のものであり、担当編集者が1人で全責任を負わなければならなかったような状況にはなかったことなどの照らし、甲の業務が過重であったと認めることはできない。被控訴人らは、R社では利益至上主義に基づき、能力主義・業績主義による人事として、極めて短期に従業員の人事評価を繰り返し、その結果を賞与額、昇格・昇給の有無、人事異動等に反映させる仕組みを採用していたため、甲は重圧を受けていたと主張する。しかしながら、人事評価に基づき、賞与額、昇給・昇格の有無、人事異動等に反映させる制度は他の企業も同様であり、しかも人事評価制度は全社員に適用されていたものであり、また甲は優秀な編集者として評価されていたものであるから、甲がこの点で重圧を感じていたと認めることはできない。

被控訴人らは、1)甲が編集課に配属されて以来担当していた課内業務は相当の時間を要する業務であったこと、2)甲が編集者として経験を積み、能力を評価されるに伴って、重要な記事を任されるようになり、重圧を受けるようになったと主張する。しかしながら、1)課内業務は発症直前に従事していた業務ではないから、これらの業務はくも膜下出血の発症と関連性のある業務とは認められない。また、2)についても、与えられていた業務が甲の能力を超えるものであったならば格別、甲は当該業務を意欲的にこなし、高い評価を得ていたのであるから、甲に過重な負荷を与えたと評価することはできない。

被控訴人らは、1)デジタル媒体はR社にとって重要な商品であり、その重圧が甲にかかっていた、2)人員配置の不十分性により甲に業務負担が集中していた旨主張する。しかしながら、1)については、甲は編集者の一員に過ぎず、責任を負うべき立場にないことに照らせば、その業務が甲に対して重圧を与えていたと認めることはできない。また2)についても、業務の絶対量が少なかったこと、それぞれが作業を分担する体制にあったこと、甲は希望する業務に専念できる立場にあったこと、甲は新企画等のテーマを積極的に提案したり、業務外でも有志が集まって企画した編集業務にも中心的に関与していたこと、上司や同僚も甲について、編集課よりきつくなく、むしろ楽しそうに仕事をしていた旨の陳述をしていることに照らせば、被控訴人らの上記主張は採用することができない。

(3)業務の過重性についてのまとめ

甲の業務の実態は、社内に滞在する時間は長く、時間外勤務もあったといえるが、編集業務の特質や甲の実際の勤務状況、作業環境、業務量、業務の責任等の質を考慮すると、業務全体としてみれば、甲の業務が量的かつ質的に特に過重なものであったと認めることはできない。

3 甲の本件疾病の発症は、その血管病変が自然経過を超えて進行し、増悪した結果か

甲は、遺伝性疾患である多発性嚢胞腎に罹患し、家族にも若年時の脳血管疾患発症例があること、多発性嚢胞腎患者には血管壁が脆弱であるという素因があること、多発性嚢胞腎患者に合併する脳動脈瘤は、多発性嚢胞腎患者でない人における脳動脈瘤発生率より発生率が高く、一般より若年者に発症するところ、甲の発症は29歳であること、甲は平成8年7月の健康診断の時点で、急激な腎機能の低下が窺われること、甲の血圧は、R社就職時から収縮時は正常域又は正常域を僅かに超え、拡張期は境界域にあったが、血圧が年齢に比して高いのは多発性嚢胞腎に起因すると考えられること、甲の上記程度の血圧でも多発性嚢胞腎患者にとっては、動脈瘤がある場合の破裂する危険は高いこと、高血圧と診断されてから治療せず自然経過に任せた場合には、通常、脳卒中が生じるのは20年ないし30年の経過を要し、甲のように約4年間高血圧が続いた程度では脳動脈瘤の発生及び破裂がないことに照らせば、甲のくも膜下出血は、自然経過において、多発性嚢胞腎に合併して脳動脈瘤が発生し、この動脈瘤が破裂したものと認めるのが相当である。

そして、前記のとおり、甲の業務の量及び質が特に過重なものであったと認めることができないことに加えて、甲の罹患していた多発性嚢胞腎は極めて重大な疾患であること、多発性嚢胞腎に合併する脳動脈瘤の発生及び破裂は、多発性嚢胞腎という疾患自体が持つ遺伝子異常による先天的な血管壁の脆弱性が重大な要因となるものであり、日常生活の中でも起こり得ること、多発性嚢胞腎は一般の高血圧などの私的危険因子と同列に論じることのできない危険因子であること、甲は29歳で発症していること、通常、約4年程度の正常域をやや超える程度の高血圧が続いた程度では脳動脈瘤の発生及び破裂は起こらないことなどに照らせば、甲のくも膜下出血は、多発性嚢胞腎が減員となって発症したものであり、その血管病変が業務の過重性のために自然経過を超えて進行し、増悪した結果であると認めることはできない。

したがって、甲のくも膜下出血の発症は、その血管病変が甲の従事していた業務により自然経過を超えて著しく進行し、増悪した結果であると認めることはできない。すなわち、本件疾病は甲の業務に内在する危険の現実化として発症したものとは認められないから、甲の業務と本件疾病の発症との間に相当因果関係があるということはできない。以上によれば、甲の本件疾病に業務起因性は認められないから、本件不支給処分は適法というべきである。
適用法規・条文
民法415条、418条
収録文献(出典)
労働経済判例速報2090号3頁
その他特記事項