判例データベース
国・人事院(K省)事件
- 事件の分類
- セクシュアル・ハラスメント職場でのいじめ・嫌がらせ
- 事件名
- 国・人事院(K省)事件
- 事件番号
- 第1事件:東京地裁 − 平成27年(行ウ)第667号 行政措置要求判定取消請求事件、第2事件:東京地裁 − 平成27年(ワ)第32189号 国家賠償請求事件
- 当事者
- 原告 個人(K省の国家公務員)
被告 国・人事院 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2019年12月12日
- 判決決定区分
- 一部認容、一部棄却
- 事件の概要
- 第1事件は、トランスジェンダー(Male to Female)であり、国家公務員であるX(原告)が、その所属するK省(被告)において女性用トイレの使用に関する制限を設けないこと等を要求事項として国家公務員法第86条の規定に基づいて人事院に対してした勤務条件に関する行政措置の各要求(以下「本件各措置要求」という。)に関し、本件各措置要求がいずれも認められない旨の判定(以下「本件判定」という。)を受けたことから、本件判定がいずれも違法である旨を主張して、本件判定に係る処分の取消しを求めた事案である。Xの本件措置要求について、人事院は、同年5月29日付けで、本件各措置要求に係る要求事項を要求事項a「申請者が女性トイレを使用するためには性同一性障害者である旨を女性職員に告知して理解を求める必要があるとのK省当局による条件を撤廃し、申請者に職場の女性トイレを自由に使用させること。」、要求事項b「申請者が異動するためには戸籍上の性別変更又は異動先の同僚職員への性同一性障害者である旨の告知が必要であるとの当局による条件を撤廃し、また、今後異動することとなった場合には、異動先の管理職等に申請者が性同一性障害者である旨の個人情報を提供しないこと。」、要求事項c「健康診断の時間帯を女性職員と同一にすること。」と整理した上で、いずれの要求も認められない旨の本件判定をしていた。
第2事件は、Xが、K省において女性用トイレの使用についての制限を受けていること等に関し、K省の職員らがその職務上尽くすべき注意義務を怠ったものであり、これによって損害を被った旨を主張して、国家賠償法第1条第1項の規定に基づく損害賠償請求として、被告に対し、慰謝料等の合計1652万6219円及び遅延損害金の支払を求めた事案である。 - 主文
- 1 人事院が平成27年5月29日付けでした国家公務員法(昭和22年法律第120号)第86条の規定に基づく原告による勤務条件に関する行政措置の各要求に対する平成25年第9号事案に係る判定のうち原告が女性トイレを使用するためには性同一性障害者である旨を女性職員に告知して理解を求める必要があるとのK省当局による条件を撤廃し、原告に職場の女性トイレを自由に使用させることとの要求を認めないとした部分を取り消す。
2 被告は、原告に対し、132万円及びこれに対する平成27年11月21日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
3 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は、これを20分し、その3を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。 - 判決要旨
- (1)本件判定について
トイレ(便所)については、労働安全衛生法(昭和47年法律第57号)の規定に基づき、及び同法を実施するために定められている事務所衛生基準規則(昭和47年労働省令第43号)第17条第1項第1号の規定が事業者に対して男性用と女性用に区別して設けることを義務付けており、経済産業大臣が人事院規則10−4(職員の保健及び安全保持)第15条の規定に基づいてK省の庁舎について講ずべき措置については、同令の規定の例による措置とされている(人事院規則10−4(職員の保健及び安全保持)の運用について(人事院事務総長発昭和62年12月25日職福−691)第15条関係第1項)ものの、トイレを設置し、管理する者に対して当該トイレを使用する者をしてその身体的性別又は戸籍上の性別と同じ性別のトイレを使用させることを義務付けたり、トイレを使用する者がその身体的性別又は戸籍上の性別と異なる性別のトイレを使用することを直接的に規制する法令等の規定は、見当たらない。そうすると、本件トイレに係る処遇については、専らK省が有するその庁舎管理権の行使としてその判断の下に行われているものと解することができる。
そして、本件トイレに係る処遇の内容に照らすと、Xは、本件トイレに係る処遇によって、A庁舎n−1階からn+1階までの女性用トイレを使用することができないという制限を受けているということができる。
本件についてみると、Xは、性同一性障害の専門家である医師が適切な手順を経て性同一性障害と診断した者であって、K省においても、女性ホルモンの投与によってXが遅くとも平成22年3月頃までには女性に対して性的な危害を加える可能性が客観的にも低い状態に至っていたことを把握していたものということができる。また、庁舎内の女性用トイレの構造に照らせば、当該女性用トイレにおいては、利用者が他の利用者に見えるような態様で性器等を露出するような事態が生ずるとは考えにくいところである。さらに、Xについては、私的な時間や職場において社会生活を送るに当たって、行動様式や振る舞い、外見の点を含め、女性として認識される度合いが高いものであったということができる。加えて、2000年代前半までに、Xと同様に、身体的性別及び戸籍上の性別が男性で、性自認が女性であるトランスジェンダーの従業員に対して、特に制限なく女性用トイレの使用を認めたと評することができる民間企業の例が本件証拠に現れた範囲だけでも少なくとも6件存在し、K省においても平成21年10月頃にはこれらを把握することができたということができる。我が国において、平成15年に性同一性障害者特例法が制定されてから現在に至るまでの間に、トランスジェンダーが職場等におけるトイレ等の男女別施設の利用について大きな困難を抱えていることを踏まえて、より働きやすい職場環境を整えることの重要性がますます強く意識されるようになってきており、トランスジェンダーによる性自認に応じたトイレ等の男女別施設の利用を巡る国民の意識や社会の受け止め方には、相応の変化が生じているものということができるし、このような変化の方向性ないし内容は、諸外国の状況から見て取れる傾向とも軌を一にするものということができる。これらの事情に照らせば、Xの主張に係る平成26年4月7日の時点において、被告の主張に係るトラブルが生ずる可能性は、せいぜい抽象的なものにとどまるものであり、K省においてもこのことを認識することができたというべきである。
加えて、Xが平成22年7月以降は一貫してK省が使用を認めた女性用トイレを使用しており、男性用トイレを使用していないことや、過去には男性用トイレにいたXを見た男性が驚き、同所から出ていくということが度々あったことなどに照らすと、女性の身なりで勤務するようになったXがK省の庁舎内において男性用トイレを使用することは、むしろ現実的なトラブルの発生の原因ともなるものであり、困難といわざるを得ない。また、多目的トイレについては、性同一性障害の者は、多目的トイレの利用者として本来的に想定されているものとは解されないし、Xにその利用を推奨することは、場合によりその特有の設備を利用しなければならない者による利用の妨げとなる可能性をも生じさせるものであることを否定することができない。
以上に加え、Xが平成26年3月7日付けで本件措置要求に係る要求事項を補正して女性用トイレの使用について制限を設けないことを求めていたこに照らすと、遅くともXの主張に係る同年4月7日の時点においては、被告の主張に係る事情をもってXの法的利益等に対する上記の制約を正当化することはできない状態に至っていたというべきである。
したがって、K省による庁舎管理権の行使に一定の裁量が認められることを考慮しても、K省が同日以降も本件トイレに係る処遇を継続したことは、庁舎管理権の行使に当たって尽くすべき注意義務を怠ったものとして、国家賠償法上、違法の評価を免れない。
(2)C室長の発言
C室長は、「なかなか手術を受けないんだったら、服装を男のものに戻したらどうか」という発言をしたものであって、当該発言は、Xの性自認を否定する趣旨でされたものではない旨を主張している。しかしながら、性別によって異なる様式の衣服を着用するという社会的文化が長年にわたり続いている我が国の実情に照らしても、この性別に即した衣服を着用するということ自体が、性自認に即した社会生活を送る上で基本的な事柄であり、性自認と密接不可分なものであることは明らかであり,C室長の発言がたとえXの服装に関するものであったとしても、客観的にXの性自認を否定する内容のものであったというべきであって、個人がその自認する性別に即した社会生活を送ることができることの法的利益としての重要性に鑑みれば、C室長の当該発言は、Xとの関係で法的に許容される限度を超えたものというべきである。
したがって、C室長による上記の発言は、Xに対する業務上の指導等を行うに当たって尽くすべき注意義務を怠ったものとして、国家賠償法上、違法の評価を免れない。
(3)H課長の発言の違法性
Xは、H課長が平成26年1月31日の面談において「異動に当たってもう一回説明会をしなければいけない」、「異動先においてもカミングアウトが必要」、「今後とも男女共用の障害者トイレを使うというのであれば、異動に当たってのカミングアウトも不要」、「(性同一性障害者であることを)周知していかないと、と思っている」と、Xにカミングアウトや障害者用トイレの使用を強いる発言をし、さらに、「私が女性トイレに行ったら捕まりますよね。女性からセクハラだなんだと言って、普通、私が女性トイレに入ったら警察来て、捕まえていきますよ。痴漢と同じ条例で捕まると思う」、「私が女装をして女性トイレに入ると多分これはセクハラになる。その人がセクハラと思うから」と発言した旨を主張している。H課長は、当時の秘書課としての考え方を説明する過程で、飽くまで一般論としてこの点について言及したにとどまるものであるから、当該発言についても、Xの人格権を侵害したり、Xに対するセクシュアル・ハラスメントに該当するようなものであったと断ずることはできない。
(4)慰謝料の額
Xは、上記のとおりK省が本件トイレに係る処遇を継続したことによって、個人がその自認する性別に即した社会生活を送ることができるという重要な法的利益等を違法に制約されるとともに、上記のC室長の発言によって性自認を否定されたものと受け止めざるを得ず、これらによって多大な精神的苦痛を被ったものと認めることができる。この制約されたXの法的利益等の重要性、本件トイレに係る処遇が継続された期間が長いことその他本件に現れた一切の事情を考慮すると、これらに対する慰謝料の額としては、合計120万円と認めるのが相当である。
(5)Xの行政措置の要求に対する人事院の判定について
国家公務員法は、職員の勤務条件に関する行政措置の要求の制度を設け、人事院がその審査及び判定等をすることを定めているところ(同法第86条から第88条まで)、これは、職員の勤務条件の内容が広範にわたり、かつ、専門的であることに鑑み、人事行政及び職員の勤務条件に精通し、専門的な知見を有するとともに、これらについて広範な権限を有する人事院が、一般国民及び関係者に公平なように、かつ、職員の能率を発揮し、及び増進する見地において事案の判定に当たることが職員の利益を保護するために適切であることを考慮したものであると解することができる。
そうすると、職員による行政措置の要求に対して人事院がいかなる判定を行うかはその合目的的な裁量に委ねられているというべきであるから、行政措置の要求に対する判定の取消訴訟において当該判定の違法性の有無を判断するに当たっては、当該判定を導いた審査の手続に違法があった場合や、認定及び判断の内容が法令に違反するものであったり、考慮した前提事実に重大な事実の誤認があるなど重大な瑕疵があると認められる場合、又は考慮すべき事項を考慮しておらず、若しくは考慮した事項の評価が合理性を欠いており、その結果、当該判定が社会観念上著しく妥当を欠く場合に限って、その裁量権の範囲を逸脱し、又はその濫用があったものとして、当該判定を違法と判断するのが相当である。
本件トイレに係る処遇については、遅くとも平成26年4月7日の時点においてXの性自認に即した社会生活を送るといった重要な法的利益等に対する制約として正当化することができない状態に至っていたことは、上記において説示したとおりである。しかしながら、本件判定は、本件トイレに係る処遇によって制約を受けるXの法的利益等の重要性のほか、上記の諸事情について、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮した事項の評価が合理性を欠いており、その結果、社会観念上著しく妥当を欠くものであったと認めることができる。
したがって、本件判定のうち要求事項aを認めないとした部分は、その余のXの主張についての検討を経るまでもなく、その裁量権の範囲を逸脱し、又はその濫用があったものとして、違法であるから、取消しを免れない - 適用法規・条文
- 国家公務員法第86条、行政事件訴訟法第3条第2項、国家賠償法1条1項
- 収録文献(出典)
- 労働判例1223号52頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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