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Y交通(仮処分)事件

事件の分類
賃金・昇格セクシュアル・ハラスメント
事件名
Y交通(仮処分)事件
事件番号
大阪地裁 ー 令和2年(ヨ)第10002号
当事者
原告(債権者。個人)、被告 株式会社(債務者。法人)
業種
運輸業、郵便業
判決・決定
決定
判決決定年月日
2020年07月20日
判決決定区分
一部認容、一部却下
事件の概要
X(X)は、昭和35年生の男性であるところ、医師により性同一性障害との診断を受けており、生物学的性別は男性であるものの、性別に対する自己意識(以下「性自認」という。)は女性である。そのため、Xは,ホルモン療法の施行を受けつつ、眉を描き、口紅を塗るなどの化粧を施し、女性的な衣類を着用するなどして、社会生活全般を女性として過ごしており、タクシー乗務員として勤務中も、顔に化粧を施していた。
 Y交通社は、令和2年2月7日の4時頃、男性の乗客からXに男性器をなめられそうになったとの苦情(以下「本件苦情」という。)を受けた。Xは、令和2年2月7日,Y交通社を含むグループ会社の渉外担当者であるA(以下「A渉外担当」という。)、Y交通社を含むグループ会社の顧問であるB(以下「B顧問」という。)及びY交通社の営業所長であるC(以下「C所長」といい、上記三名を総称して「A渉外担当ら」という。)ら3名との間で,面談(以下「本件面談」という。)を行った。
 A渉外担当らは、Xに対し、本件面談において、本件苦情が寄せられたこと、乗客から、Xが、乗車拒否をしたり、運賃について過大な額を説明したなどの苦情が寄せられているとの指摘を行い、Xに対し、本件苦情の内容について問いただしたところ、Xは、本件苦情の内容は事実ではないと否定した。
 A渉外担当らは,Xに対し、火のないところに煙は立たないため、苦情の内容は事実であると考えることもできる、いずれにしろ、上記苦情の内容が真実であるか否かは問題ではなく、Xが上記内容の苦情を受けることそのものが問題であると伝えた。加えて、Y交通社は、Xが以前にも自分の膨らんだ胸を触らせたという内容の苦情を受け、その際には丸く収めたものの、その後に本件苦情を受け、性的な趣旨の苦情が二度目のものとなる以上は、Xを「乗せるわけにはいかない」と考えている旨を伝えた。
 本件面談においてA渉外担当らは、Xに対し、Xの化粧に関連して、(ア)Xが男性である以上、身だしなみを整える意味で化粧をすることはできない、(イ)Xが業務の終了後に化粧をすることについては特に構わないものの、Xの化粧に違和感のある乗客が不快感を覚える結果、Y交通社に対して苦情が寄せられることとなる以上、Xが化粧をして乗務に従事しようとする限り、Xを乗務させることができないのは当たり前の話である、(ウ)A渉外担当は、Xが本件面談当日に施していた化粧について、「へどが出る」もので「不愉快な思い以外の何物でもな」く、「気持ち悪い」ものであると感じている、(エ)Y交通社がXを採用した際、Xは化粧を施すなどしていなかったのであり、化粧をした上で乗務に従事することを知っていれば、Xを採用することはなかった、(オ)Xは,化粧をして乗務している最中に、男性から性的な行為をするよう求める趣旨の声を掛けられることを自認しており、そうした者から、Xが「ひょっとしたら自分らと同じような感覚持ってる人間がおるよ、と思われていること自体が問題」であって、Y交通社の評判を落とすものである旨の発言をした。
 さらに、本件面談において、A渉外担当らは、Xに対し、Xの今後の行動に関して、(ア)Xが「性同一性障害の病気」であり、化粧をせずに、「普通にタクシー乗務員として仕事」をすることができるのであればよいが、Xが「病気」であり、治らない以上は、Xに辞職を求めるわけではないものの、Xを乗務させることはできない、(イ)Xが今後,化粧をしなければよいという問題でもなく、具体的にどうすればよいかについては、Xが考えなければならない、他社でタクシーに乗務することも方法の一つである旨の発言をした。
 Xは、令和2年2月7日以降、Y交通社において業務に従事していない。本件は、Y交通社に雇用されているXが、Y交通社に対し、Y交通社の責めに帰すべき事由による就労拒否があったと主張して、民法536条2項に基づき、賃金の仮払いを求める事案である。
主文
1 債務者は、債権者に対し、令和2年7月から本案第一審判決言渡しに至るまで、毎月28日限り、18万円を仮に支払え。
2 債権者のその余の申立てを却下する。
3 申立費用は債務者の負担とする。
判決要旨
(1)Xに対する就労拒否の事実の有無及び就労拒否についてのY交通社の帰責性の有無
 A渉外担当らは、本件面談において、Xに対し、Xを「乗せるわけにはいかない」と告げたり、Xが化粧を止めるか否かにかかわらず乗務させることはできない旨を告げたり,あるいは、他社でタクシーに乗務することも方法の一つであるなどとしながら、今後の行動についてはX自身で考えるよう述べて、退職を示唆するなどしている。このようにA渉外担当らが、タクシー乗務員であるXの唯一の労務提供方法であるタクシー乗務について、本件面接以後のXの行動いかんにかかわらず、行わせることはできないと告げ、退職すら示唆していることからすると、Y交通社がXの就労を拒否したことは明らかである。
(2)本件苦情について
 Y交通社は、仮にY交通社がXの就労を拒否したと評価されるとしても、本件苦情の内容が真実であり、Xが男性乗客の下半身をなめようとする行為又はそれと疑われる行為を行った以上は、就労拒否の正当な理由がある旨の主張をする。
 しかしながら、A渉外担当らは、Xに対し、本件苦情の内容が真実であるか否かを問題としているのではないと述べており、苦情内容の真実性は、Xに対する就労拒否の理由であるとされてはいない。
 仮にこの点を措くとしても、Xは,本件苦情の内容が真実であると認めていない上、 Y交通社が本件苦情の内容の真実性について調査を行った形跡もみられない。Y交通社の上記主張の唯一の根拠となっているのは,朝4時頃に、いたずらで本件苦情のような内容を通告する者がいるはずはないという点にあるものの、こうした点を考慮しても,本件苦情の存在をもって、直ちに本件苦情の内容が真実であると認めることはできない(なお,仮に上記苦情の内容が事実であるとすると、Y交通社は,懲戒処分としての出勤停止命令等の手段によって、Xの就労を拒否することが考えられるものの、Y交通社は、上記の手段を講じるなどしておらず、就労拒否の法的な根拠が明らかにされていない。)。
 以上によれば、本件苦情の内容が真実であることを理由として、Xに対しその就労を拒否することは、正当な理由に基づくものとはいえない。
 A渉外担当らのXに対する説明内容によれば、Y交通社は、上記苦情の存在自体をもって、Xの就労を正当に拒否することができるとの見解を前提にしているものと考えられるところ、かかる見解を言い換えれば、Y交通社は、仮に上記苦情の内容が虚偽であるなど、違行為の存在が明らかでないとしても、上記苦情を受けたこと自体をもって、正当にXの就労を拒むことができることとなる。しかしながら、非違行為の存在が明らかでない以上は、上記苦情の存在をもって、Xに対する就労拒否を正当化することはできない。
 以上を総合すると、Y交通社が、本件苦情の真実性又は存在自体を理由として、Xの就労を拒否することは、正当な理由に基づくものとはいえない。
(3)Xの化粧が濃いとの点について
 本件身だしなみ規定は、サービス業であるタクシー業を営むY交通社が、その従業員に対し、乗客に不快感を与えないよう求めるものであると解され、その規定目的自体は正当性を是認することができる。
 しかしながら、本件身だしなみ規定に基づく、業務中の従業員の身だしなみに対する制約は、無制限に許容されるものではなく、業務上の必要性に基づく、合理的な内容の限度に止めなければならない。
 本件身だしなみ規定は、化粧の取扱いについて、明示的に触れていないものの、男性乗務員が化粧をして乗務したことをもって、本件身だしなみ規定に違反したものと取扱うことは、Y交通社が、女性乗務員に対して化粧を施した上で乗務することを許容している以上、乗務員の性別に基づいて異なる取扱いをするものであるから、その必要性や合理性は慎重に検討する必要がある。他方,男性乗務員の化粧が濃いことをもって、本件身だしなみ規定に違反したものと取扱うことは、女性乗務員に対しても男性乗務員と同一の取扱いを行うものである限り、性別に基づいて異なる取扱いをするものと評価することはできない。
 A渉外担当らは、本件面談において、Xが乗務中に化粧をすることができることを前提としつつ、その濃さが、本件身だしなみ規定に違反するものと捉えていたのではなく、Xが化粧をしているのが外見上判別できること、すなわち、Xが化粧をして乗務すること自体を、本件身だしなみ規定に違反するものと捉えており、そのことをもって、Xに対する就労拒否の理由としていたと認めることができる。Xの化粧が極めて濃いことを就労拒否の理由とした旨のY交通社の主張は採用することができない。
 社会の現状として、眉を描き、口紅を塗るなどといった化粧を施すのは、大多数が女性であるのに対し、こうした化粧を施す男性は少数にとどまっているものと考えられ、その背景には、化粧は、主に女性が行う行為であるとの観念が存在しているということができる。そのため、一般論として、サービス業において、客に不快感を与えないとの観点から、男性のみに対し、業務中に化粧を禁止すること自体、直ちに必要性や合理性が否定されるものとはいえない。
 Xは、医師から性同一性障害であるとの診断を受け、生物学的な性別は男性であるが、性自認が女性という人格であるところ、そうした人格にとっては、性同一性障害を抱える者の臨床的特徴に表れているように、外見を可能な限り性自認上の性別である女性に近づけ、女性として社会生活を送ることは、自然かつ当然の欲求であるというべきである。(中略)外見を性自認上の性別に一致させようとすることは、その結果として、A渉外担当が「気持ち悪い」などと述べたように、一部の者をして、当該外見に対する違和感や嫌悪感を覚えさせる可能性を否定することはできないものの、そうであるからといって、上記のとおり、自然かつ当然の欲求であることが否定されるものではなく、個性や価値観を過度に押し通そうとするものであると評価すべきものではない。そうすると、性同一性障害者であるXに対しても、女性乗務員と同等に化粧を施すことを認める必要性があるといえる。
 以上によれば、Y交通社が、Xに対し、化粧の程度が女性乗務員と同等程度であるか否かといった点を問題とすることなく、化粧を施した上での乗務を禁止したこと及び禁止に対する違反を理由として就労を拒否したことについては、必要性も合理性も認めることはできない。したがって、Y交通社は、Xの化粧を理由として、正当にXの就労を拒否することができるとの主張を採用することはできない。
 以上を総合すると、Xに対する就労拒否は、本件苦情を理由とする点,Xの化粧を理由とする点のいずれにおいても、正当な理由を有するものではないから、Y交通社の責めに帰すべき事由によるものであるということができる。
 したがって、Xは、Y交通社に対し、民法536条2項に基づいて、令和2年2月7日以降分につき、賃金支払請求権を有するものということができる.
適用法規・条文
民法536条2項
収録文献(出典)
労働判例1236号79頁
その他特記事項